#250 Jeff Beck_2

ジェフ・ベックの一番古い音源は何だろう?先ずはそう思いつきました。
ヤードバーズ加入前にあるバンドで活動していたというのは昔モノの本で読んだ記憶がありましたが、
ググってみると「The Tridents」というバンドとの事。ネット時代はイイですね。

91年にリリースされた三枚組のベストアルバム「Beckology」にその頃の録音が3曲収録されています。
「Wandering Man Blues」と「Trouble in Mind」がメドレーになっているのが上の動画です。
前者はオリジナルですがド直球のブルース。トリルの連続はこの頃から十八番だったようです。
後者もブルースのスタンダードナンバーですがこちらは1920年代の曲でサッチモも取り上げたとか。
ジェフがペダルスチールを演るとは聴いたことが無いのでスライド(ボトルネック)でしょうね。
後年結成されたハニードリッパーズの音楽的志向(嗜好)はこの辺りにあったのかな?とも感じられます。
でもあれはロバート・プラント主導でジェフは付き合わされた感が … まあイイか・・・

ライヴ音源の「Nursery Rhyme」。ボ・ディドリーによる所謂ジャングルビートの本ナンバーは、
少年期にR&Rの洗礼を受けたジェフにとって原点の様な音楽だったでしょう。
そのプレイたるや … この時から既にジェフ・ベックです(当たり前だ・・・・・)。
言葉が足りませんでしたね。この頃から後における彼のプレイスタイルがかなり垣間見えるという
意味においてです。
私はボクシングに例えるとエリック・クラプトンがオーソドックススタイル、ジェフは変則ファイターだと
勝手に思っています。ちょっとまて!「悲しみの恋人達」における泣きのギターは王道だろ!!
などと反論はごもっとも。あれもジェフのプレイの一つです。
クラプトンはカントリーテイストを取り入れたりした時期もありましたが、根っこはあくまでブルース。
奇をてらったりせずにひたすらブルースを追求しています。
一方ジェフはマイナーペンタトニックスケールを基調としたブルース及びR&Rが軸にある事は
間違いないのですが、音楽性は様々で、というかあまりこだわりは無くその時その時でイイと
思ったものを演っているだけの様な気がします。ハードロック、ソウル・R&B、フュージョンetc…
要は自分がギターで表現できる ” 声 ” をひたすら追求するまさにギター職人であり、
音楽性はその為のあくまでプラットフォームに過ぎないのです(ただの気まぐれ屋とも言えますが … )。
その為奏法も従来通りのものでは飽き足らず、トリッキーな変則奏法と呼ばれるテクニックや、
フィードバック奏法に代表される機材の特性(良くない面の)まで利用した音を模索していったのです。
これはジミ・ヘンドリックスと同じベクトルであったでしょう。まあジェフはステージでギターを
壊したり燃やしたりはしませんでしたけど・・・・・
前回取り上げた「Goodbye Pork Pie Hat」における多彩な音色の変化、それはピックアップ位置や
エフェクター、そして勿論ピッキングのニュアンスなどに因るものですが、まるで歌い手が場面場面で
声のトーンや発声を微妙に七変化させるが如く、そのフレーズごとにジェフが出したいと思った ” 声 ” を
表現する為の結果だったのです。これほどまでトーンにこだわったギタリストはジェフをおいて
他にはいません。それはジェフにとってギターは自分の ” 喉 ” つまり ” 声 ” だったからです。

#249 Jeff Beck

新年一発目のブログが訃報というのもなんですが・・・・・
ジェフ・ベックが亡くなりました。享年78歳。
ジェフは#5~7で取り上げましたが、追悼の意を込めてこれからしばらく彼について書きます。
誰も読んでないんでどうでもイイ事ですが、このブログは必ず前回から何かしら関係性のある
テーマになっています。
年も4歳程の差で同じイギリス人のミュージシャン。ジョン・レノンの作品にジェフが参加した事が
無いのは分かっていましたが、一度くらい共演とか何か接点はあっただろうとググってみたのですが、
これが何も出てこない・・・・・
その中で一点だけ、ジェフとジョニー・デップ(有名な俳優ですよね?詳しくないのですが … )が
20年にジョンの「Isolation(孤独)」をカヴァーしている記事を見つけました。
これでつながりはイイですよね、どうせ誰も読んでねえし!☆(ゝω・)v

次回から詳しく取り上げていきます、今回はサラッと。
私がジェフのプレイで最も好きなものの一つを。
「Wired」(76年)に収録されたジェズベーシストの巨匠チャールズ・ミンガスの曲である
「Goodbye Pork Pie Hat」。
フェンダー ストラトキャスターの魅力がこれ程引き出されているプレイを私は他に知りません。
こまめなトーンの変化の付け方、それは決してただいたずらに変えている訳でなく、
シチュエーション毎に最適な音色を選択出来る能力は多分エレキギタープレイヤーにおいて
ジェフが最も秀でていたのではないでしょうか。
勿論他にもたくさん魅力はあります。それは次回以降ぼちぼちと。
ジェフ・ベックのご冥福を心よりお祈りいたします。

#248 Walls and Bridges

前回のテーマである「Nobody Loves You (When You’re Down and Out)(愛の不毛)」が
収録されたジョン・レノンのアルバム「Walls and Bridges(心の壁、愛の橋)」(74年)。
今回は「愛の不毛」以外の曲について触れていきます。
オープニングナンバーは「Going Down on Love」。オノ・ヨーコ氏との所謂『失われた週末』
の序章を歌ったものとか。タイトルや歌詞は性的な意味にも取れるダジャレを内包していて
いかにもジョンらしいもの。しかし楽曲は飄々として、それもまたジョンらしい。
A-②「Whatever Gets You thru the Night(真夜中を突っ走れ)」は#239をご参照。

ニルソンとの共作であるA-③「Old Dirt Road」は#246で述べた ” 浮遊感 ” を持った曲ですが、
歌詞はかなり悲惨。キース・ムーン達と乱痴気騒ぎに明け暮れている状況をこれまた飄々・淡々と
歌ったもの。

前回の「愛の不毛」を取り上げた回にて、本作においてあえてベストトラックを挙げるなら
甲乙付け難い二曲があると言いましたが、その甲でも乙でもないのが「What You Got」。
ジェームス・ブラウン張りのファンクナンバーで、何よりジョンの歌が素晴らしすぎる。
「Twist and Shout」では期せずして荒れたシャウトになってしまいましたが(#244ご参照)、
これは正面切って堂々と荒々しくシャウトしたもの。ジョンが最も歌唱力に優れたロックシンガーとは
思いません。ロッド・スチュワートやポール・ロジャースの方がそういう意味においては上かも
しれませんけれども、何を歌ってもジョン・レノン節、自分のものにしてしまうのは天性でしょう。
ジム・ケルトナーのドラムがこれまたたまらない。

「Bless You」は当時別居していたオノ・ヨーコ氏へ捧げた(?)曲。9thコードの響きと
エレクトリックピアノの音色は当時流行しつつあったクロスオーバーを感じさせます。
ローリング・ストーンズ「ミス・ユー」の元ネタになったとかならないとか・・・

「真夜中を突っ走れ」と共にシングルヒットした「# 9 Dream」は、当時一緒に暮らしていた
(逃亡していた?)恋人メイ・パンの事を歌った曲。” John ・・・ ” など曲中に聴こえる声は
彼女自身によるものです。これもジョンらしい浮遊感覚を持った曲。もっともそれは
ジェシ・エド・デイヴィスのスライドギターに因る部分が大きいのでしょうけれども。
かのデュアン・オールマンもジェシから影響を受けてスライドを始めたとか。

「Steel and Glass」はジョンの楽曲におけるもう一つの特質である ” 重々しさ ” が表れている曲。
おのずとこうした曲は歌詞も暗く辛辣なものへと。「How Do You Sleep?」が音楽的にさらに
昇華されたものと私は考えています。

インストゥルメンタルである「Beef Jerky」。BOOKER T. & MG’sの様な曲を狙ったとか。
ホーンセクション・リズム隊共に超一流のプレイヤー達なので素晴らしいのは当たり前。

実質的なエンディングナンバーである「愛の不毛」の後に収録されている「Ya Ya」ですが、
とある理由でアルバムに入れることになりました。
#1で触れましたけれども「Come Together」がチャック・ベリー「You Can’t Catch Me」の
盗作であるとチャックの楽曲管理側から訴えられ、その結果原告側であるモリス・レヴィ他が
過去に書いた曲をジョンの作品に収録する義務を負わされたという経緯だそうです。
スネアドラムを叩いているのはジュリアン・レノン。先妻シンシアとの間に出来た子供である事は
ビートルズファンや洋楽通には周知の事実ですが、ジョンが亡くなった四年後に「ヴァロッテ」で
デビューし、ジョンの面影を残すその容姿と歌声で世界中のファンが涙した事も洋楽ファンには
” あったり前田のクラッカ~ ”(最新のトレンドワード (´・ω・`))と一蹴されてしまうでしょう。

五回に渡りジョン・レノンについて書いてきました。ビートルズフリークは日本だけでも
ごまんといるので迂闊な事を書くと非難ごうごう雨あられなのでこの辺りで尻尾を巻いて退散します。
えっ!大丈夫どうせ誰も読んでないって?!やだな~そんなにホメないでくださいよ~ (´^ω^`)
返し方に変化を付けてきたな・・・…(*´∀`;)…
真面目な話をすればこうやって調べて書いていく事によって、何十年と聴いてきた音楽について
改めて再確認したり、新たな発見があったりと自分の為になるんですけどね。
なので都はるみさんが編んだセーターの様に、読んでもらえぬブログを涙こらえて書いていきます。
そのセーターは多分はるみさんが編んだんじゃねえけどな・・・…(*´∀`;)…

さて … 来年からは …… ホントに何を書こうか?・・・・・あっ!来年もよろしく!! ノシ

#247 Nobody Loves You (When You’re Down and Out)

今まで何回か書いた事ですけれども、私はポップミュージックにおいて歌詞というものに
あまり重きを置いていません(作詞家及び歌詞を好む方には先に謝っておきますm(__)m)。
中学に入った頃から洋楽を聴き出しましたが当然歌詞など分からず(一応訳詞は読みましたが)、
自分にとってその音楽の魅力は歌詞以外の要素でした。ですからインストゥルメンタルにも
抵抗なく入っていく事が出来ましたし、かなり乱暴な極論ですが何なら全編スキャットで
歌ってもらっても構わないと思っています。
ここまで逆を張っておけばもうイイでしょうかね ………… 今回は歌詞を中心に取り上げます。

ジョン・レノンのソロアルバムで何がイチバンか。精神療法によって赤裸々に内面をさらけ出した
「ジョンの魂」だ!いや平和について歌ったジョンの代表曲がタイトルである「イマジン」だ!
何を言う!原点回帰した「ロックン・ロール」こそ最高傑作だろ!!イヤイヤ … 結果として遺作に
なってしまったがカムバック後の「ダブル・ファンタジー」異論は認めない!!!
等々・・・ファンの間で喧々諤々になるのは言うまでもありません。

74年にジョンがリリースしたアルバム「Walls and Bridges(心の壁、愛の橋)」。
全米1位を獲得した本作はそれまでの政治的メッセージを排し、音楽本位(当たり前なんですがね)
で制作に取り組んでおりジョンのソロキャリアにおける中~後期の傑作とされています。
私はこのアルバムが一番好きです。その全てが完成度の高い楽曲ばかりで一部の隙も無い作品とは
こういうものを指すと考えています。それら楽曲群においてあえてベストトラックを挙げるなら、
甲乙付け難い二曲があるのですが、今回はこちらを。
「Nobody Loves You (When You’re Down and Out)(愛の不毛)」。本アルバムの実質的
ラストナンバーである本曲を端的に表現するならば、徹底的に救われない歌詞を淡々と歌ったもの、
とでも言い表す事が出来るでしょうか。
落ち込んでいるときには 誰も君を愛してくれない
有頂天になってるときには 誰も君を気にかけない
本曲を象徴しているのがこの二行のフレーズです。

この時期のジョンは再婚相手であるオノ・ヨーコ氏と別居状態にあり、N.Y. からL.A. へ
移り住み(逃げ出した?)フーのキース・ムーン、二ルソン、そしてリンゴ達と毎晩のように
泥酔しては乱痴気騒ぎを繰り返していました。ヨーコ氏と別居した理由は様々あるらしいのですが、
その最たるものは浮気。事務所のスタッフである中国系アメリカ人女性と共に逃げたのです。
これが俗に言う『失われた週末』というものです。
本作はその様な状況下で制作されました。といってもスタジオにアルコールやドラッグを持ち込んで
タリラリランのラリパッパで録音するというものではなく、それらを一切断ち真面目に取り組んだとの事。
レコーディングスタジオもN.Y. へ戻し、以前の創造的気運に満ち溢れていたと言われています。
なにも隠すものもない きみはそれでもまだ 僕がきみを愛してるか尋ねてくる
それって何だい? それって何だい?
すべてはショービジネスなんだ すべてはショービジネスの世界なんだ
説明不要なまでに身も蓋もない歌詞です。62年から突然時代の寵児となったジョンにとって、
それまでの約12年間とは上記の様なものだったのでしょうか。
海の向こうに 今やもう何回も行ったさ 盲目の人を導く片目の妖術師が そこにはいたんだ
きみはそれでもまだ 僕がきみを愛してるか尋ねてくる
それって何だい? それって何だい?
指で触ろうとするといつも すり抜けていってしまう
指で捕まえようとするといつも すり抜けていってしまう
片目の妖術師が盲人を導いている、ポップミュージックの歌詞にてこれ以上惨い状況を表現するのは
不可能でしょう。

淡々と歌われる曲の中で一パートだけジョンがシャウトします。所謂大サビの所です。
朝起きて、鏡に映った自分を見る、ooo wee!
暗闇の中、もう眠れないって分かっている、ooo wee!
しばし静寂の後、またまた淡々とした歌が再開されます。
年を取ったきみのことなんて誰も愛してくれない 混乱しているときにも誰もきみを必要としない
誰もが自分の誕生日のことで大騒ぎしてる 誰もがきみを愛すのは
死んで墓に埋められたときなんだ(six foot in the ground)
『ライ麦畑でつかまえて』をポップスの歌詞で表現したならば、ビーチ・ボーイズ「駄目な僕」か
本曲にとどめを刺すのではないでしょうか。

救われない厭世的な歌詞は他にもいっぱいあるとは思いますが(ジム・モリソンとか。彼のは
厭世的かつ耽美的とでも言えるでしょうか)、やはり楽曲が見事であり、音楽として完成されて
いなければなりません。暗い歌詞をひたすら陰陰滅滅と歌うだけではそれこそ
” 落ち込んでいるときには 誰も君を愛してくれない ” となってしまうのですから。

今日の日に合わせて少し前からジョン・レノンについて書いてきました。
毎年12月8日もしくはその前後には必ずジョンに絡めたネタで書いてきましたが、
その為ここ最近ジョンの曲をよく聴くようになっていました。例年は一年でこの日くらいしか
聴くことはなかったんですけどね。勿論今日は一日中かけて過ごしています。
気が付けばジョンが死んだ歳を一回りも上回ってしまいました … (欧米で一回りという
概念があるかどうかは知りませんけど・・・)
歳を取ると ” あと何回桜が見られるか? ” などと自分の生い先を心配する表現をしますが、
私の場合はあと何回ジョンを悼むこの日が迎えられるか?などと考えます。
考えてもしょうがないですね。今を生きましょう。運が悪けりゃ死ぬだけです。
あっ!まだジョンで書きたい事があるので、今年いっぱいはジョンネタ(変な表現だな … )で
もう少し続けます。

 

#246 Dear Prudence

『瞑想』心を静めて無心になり、何も考えずリラックスし、また神に祈ったり何かに心を集中させ、
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと。ウィキペディアにおいてはこの様に定義されています。
医学の分野でも一定の科学的根拠が認められているそうですが、私のような煩悩の塊がそれをすると、
「もっとお金が手に入らないかな~」とか「くそ!あのヤロー!!」などと雑念を邪念で煮しめたような
精神状態になる為意味がない、というよりやらない方が良いみたいです・・・・・

「Dear Prudence」はビートルズが68年に発表したアルバム「The Beatles」
(所謂「ホワイトアルバム」)に収録されたジョン・レノンによる楽曲で、ジョン自身もかなり
お気に入りの
一つであったとか。
全くの私見ですが、ビートルズ後期からソロ活動においてジョンの楽曲における作風の傾向で
顕著なものが二つあると思っています。一つはヘヴィーかつブルージー・ソウルフル・ファンキーとでも
形容される様な粘っこい曲調のもの。具体的には「Happiness Is a Warm Gun」「 I Want You
(She’s So Heavy)」「Cold Turkey」「How Do You Sleep?」「Scared」など。
もう一方が「Sun King」「Jealous Guy」「Mind Games」「#9 Dream」において聴くことが
出来る浮遊感とでも呼べる感覚に満たされた楽曲です。「Dear Prudence」はその萌芽と言える一曲。

ビートルズのメンバー達は68年、インド滞在中に瞑想に耽っていましたがその中に Prudence という
ある女優の妹も同行していました。タイトルは彼女についてです。瞑想にはまりすぎたプルーデンスは
部屋から出てこなくなり、皆で ” 出ておいで、プルーデンス ” と呼びかけたそうです。
この出来事がジョンにインスパイアを与えたとされています。勿論この時代のお約束として何らかの
薬物を嗜んでいたのは言うまでもありません(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)。

浮遊感を醸し出すのに最も貢献しているのはイントロ及びアウトロで顕著に聴くことが出来るギターです。
ジョンによる所謂スリーフィンガーと呼ばれる奏法によるもので、これはインドで一緒に瞑想を
学んでいた英フォークシンガー ドノヴァンから教わったとの事。
ポールのベースが印象的なのは衆目の一致する所で、より楽曲の透明感と浮遊感覚を高めています。
途中から出てくる歪んだギターはジョージ。この辺りから透明感を良い意味で濁し始めます。

後半から特にエンディング辺りにおいて、ピアノ・管楽器・パーカッションそしてハンドクラップが
コラージュ的に、陳腐な言い方ですが音のキャンバスに散りばめられた(ばら撒かれた)パートは
圧巻です。ミュジークコンクレートという楽器ではない現実音を組み合わせて作る音楽(?)が、
60年代末からポップミュージックでも取り入れられました。同じホワイトアルバムでもジョンが
「Revolution 9」を収録していますが私はあれを雑音だと思っています(好きな人ゴメンナサイ … )。
それに成功したのはピンクフロイドくらいです(#25ご参照)。
しかし概念としてのミュジークコンクレートを取り入れる事で後期のビートルズ、言うまでもなく
「サージェント・ペパーズ」でロックミュージックを一段高める事へ見事に寄与しています。
本曲はそれを更に推し進めた傑作で、個人的にはホワイトアルバム中のベストトラックと思っています。

ところでドラムについて全く触れませんでしたが、ビートルズファンには言うまでもない事ですけれども
本アルバム制作中にポールがリンゴのプレイに注文を付けすぎて、怒ったリンゴがスタジオから
出て行ってしまい代わりに数曲はポールがドラムを叩いています(温厚でムードメーカーのリンゴですら
こうだったのですから、いかに当時のバンド内の関係が悪かったかを物語るエピソードです)。
本曲もポールによるドラムとされていますが、エンディングで炸裂するドラムは巧すぎるのでこれは
リンゴが戻ってから叩いたのを重ねたのかな?と私は思っているのですが、これもファンの間では侃々諤々
の事柄ですのでそっとしておきましょう … いずれにせよその素晴らしさに変わりはないのですから。

#245 if i fell

” 落ちる ” という単語にはネガティブな印象がつきまとうものです。「谷底へ落ちる」
「試験に落ちる」「人気が落ちる」や「都落ち」なども決して良い意味では使われません。
そんな中一つ不思議な表現があります。「恋に落ちる」というやつです。
勿論大昔から日本語として存在した表現ではなく、英語の ” fall in love ” から
来ているらしいのですが、さてこの場合の ” 落ちる ” とは良いのやら悪いのやら …

ビートルズの 3rd アルバム「ハード・デイズ・ナイト」に収録された「If I Fell(恋におちたら)」。
実質的にジョン・レノンによって書かれたとされる本曲はビートルズ初期、というより全キャリアを
通して最も優れた楽曲の一つに挙げられます。勿論その制作にはポールがかなり寄与した、
ここからあそこまではポールが創ったんだ!とかビートルズマニアが寄り集まれば取っ組み合の
ケンカが始まるのでその辺りは深く突っ込まずに語ります・・・・・
:*:`☆┌(`Д´)ノ)゚∀゚).:*:(-(-д(-д(`д´)д-)д-)-).:*:(゚д゚)ノ=3

本楽曲の魅力、言い換えれば最も耳が惹かれる箇所はイントロと二・三番目の後半部分というのは
衆目の一致する所です。
特にイントロに関して。様々なサイトで音楽的にかなり突っ込んだ解説がなされてますので、
興味がある方はそれらをどうぞ。ただし理論がある程度わからないと転調はまだしも、
” トニック ”、” ドミナント ”、” 代理(裏)コード” 等々それってオイシイ?といったワードの連発なので、私なりに出来るだけ理解しやすくまとめてみます。
このイントロで多くの人が感じるのが不安定(憂鬱)から安定(希望と言い替えても良い)へ
移行する感覚、といったものでしょう。勿論安定する(希望へ変わる)箇所は歌詞で言うと、
” just holding hands ” の7小節目であり、頭の ” just ” で見事に展開されます。
所謂Aメロである ” If I give my heart to you ” からのパートのキーがDであるのに対して、
イントロのキーは半音下がったD♭です。先述の7小節目からキーDにとっての音楽用語で言う
”ツーファイブ(Ⅱ→Ⅴ)” の流れになり(つまり7小節目で転調している)、そして
9小節目が
Dで始まるという展開です。
そして不安定感の元になっているのが2・6小節目ですが、ここは普通A♭7がセオリーです。
そこを趣向を凝らして代理コードを、というのはまだよくある事なのですがその役割は本来D7。
プレーンなDを用いる事によって不安定感が生まれます。しかしそのⅮが転調後のキーになる、
という伏線が張られていて、より7小節目の転調が劇的になるというものらしいです。
(ここ迄で頭からバネが出そうになった方はムリして読まなくてイイですよ …(*´∀`;)… )

二・三番目の後半部分(ジョンはミドル8と呼んでいたそうで)は『D9→G→Gm→D→A7』。
ナインスコードでテンション感が高まりメジャーからマイナーへ、最後は普通にツーファイブで
終わる … と、このパートもまた耳に残る所です。もっともここはジョンとポールのハーモニーの
素晴らしさに因る部分が大きいと思いますが、そこまで言及すると一冊本が書けちゃうので勿論控えます。

これらを正規の音楽教育を受けてもいない青年が成してしまった事は、クラシック畑の人達からすると、
驚愕に値する程の事実だそうです。クラシック音楽では基本コード進行という概念がないので、
上記を解する際 ” 増何度・減何度 ” という説明になり、ますますアタマからバネが出ます・・・・・
ジャズ畑の方がその辺はフランクに受け入れられるようで、要は冒頭 ” Ⅱ→Ⅴ→I ” で始まるという、
ジャズでは珍しくない事です。#137で取り上げた「Feel Like Makin’ Love」もしかり。
ただそのⅤが代理コード、しかも普通乗っかる7度を省いてしまった事により何とも言えない
アンニュイかつメランコリックな感じをもたらし、それが転調後のキーとなるというのは先述の通り。
勿論ジョンはこれらを感覚的に創ってのけたのでしょう。” ココ、こうしたら良くネ!” みたいな …

本曲を傑作たらしめている要因にAメロから始まるジョンとポールのハーモニーもあるのは
言うまでもない事ですが、既述の通り本が書けてしまうのでここでは触れません。
ネット上でいくらでもそれについて解説してくれているヒマ … 親切な方達がいるのでそちらを。
さらにはジョージの12弦ギター、ポールのベースライン、そしてリンゴのドラミングが
寄与しているのも忘れてはなりません。特に8小節目終わりの ” ンッタタタッタッ ” という
フィルインは、技術的には実に何てこと無いのですが、これ以外には考えられないと言う程に
マッチングしています。リンゴの類まれなるセンスがうかがい知れる一端です。

本曲の歌詞を要約すると、前の恋愛で傷ついた男が新しい恋の相手に  ”君を信じてイイのかい?
今度うまくいかなかったら僕はもう立ち直れない ” といった昭和の時代であれば
” 男ならドーンと行かんかい!” と言われそうなくらい頼りないものです。しかも前の彼女とも
完全には終わってないような節もあり … まあ、ジョンらしいと言えばらしいのですが・・・

結局この場合の ” 落ちる ” とは良いのか悪いのか?・・・・・言うまでもありません。
良いものでもあり、悪いものでもあるのです。

#244 Twist and Shout

交淫屋のゴト師 … 光陰矢の如しと申しますが、今年も二か月を切りました。
失礼。予測変換で上に来たのをそのまま打ってしまいました。気にしないでください、
よくある事です (´・ω・`)
それがイチバン上に来るって … オマエ普段PCでナニやってんの?…(*´∀`;)…

毎年12月8日やその前後にはジョン・レノンに絡めたネタで書いていたのですが、
気が付けばもう一か月もない・・・・・
エルトン・ジョンについて長く書いてきましたが、はて次は何を取り上げようか?
と考えあぐねていたところ、そうだ!エルトンからジョンへ話題をシフトすればイイんじゃね!
などとナイスなアイデアが浮かびました。二人の関係についてはエルトン回で既述です。
#232#239をご参照のほど)
私はジョンのファンです。とは言っても彼について本気で書ける程のジョンレノンマニア、
ビートルズフリークというわけではありません。世界中には強者がごまんといます。
というわけで、今後何回か少し斜めからの視点で私なりにジョンの事を書いていきます。

「Twist and Shout」。ビートルズ1stアルバムのラストナンバーとして収録された本曲は
あまりにも有名ですが、割鐘の様な声で文字通りシャウトするジョンの歌は今聴いても衝撃的です。

バートランド・ラッセル・バーンズとフィル・メドレーのペンによる本曲を最初にレコーディング
したのはトップノーツ(61年)。58年のヒット曲「ラ・バンバ」を意識したのかな?と思わせる
曲調ですがチャート的には振るいませんでした。ちなみにプロデュースはフィル・スペクター。

ビートルズがモチーフにしたのは言うまでもなくアイズレー・ブラザーズによる62年のバージョン。
全米17位、R&Bチャートでは2位という大ヒットとなった本曲はジョン達にかなりのインパクトを
与えたようです。作曲者であるバーンズ自らプロデュースを務め、軽快なダンスナンバーであった
トップノーツ版を、よりゴスペル&ソウルのパッションを注入した仕上がりとなっています。
アイズレー・ブラザーズにとっては初の全米TOP20ヒットとなる曲でした。

午前10時にスタジオ入りし、録音を終えたのは午後10時という弾丸レコーディングっぷり、
当日ジョンは風邪をひいて調子が悪かった、しかも元々本曲が喉を酷使する事は承知の上だったので
レコーディングの一番最後に録る予定であった、その時にはジョンのコンディションは最悪で
撮り直しは出来ない、一発でキメなければならないという状況だった、等々のエピソードは
ビートルズファンにとっては ” 知ってるよ!あったり前田のクラッカー~ ” と言われそうですが
(今若者の間で最新のトレンドワード (´・ω・`))、念のため記しておきます。

ジョン自身もこの歌に関してはかなり悔んでいたそうです。しかしながら音楽というものは
不思議なもので、必ずしも綺麗な音色・声が良いというわけではありません。エレキギターの
ディストーションサウンド、所謂 ” 歪んだ音 ” や、ルイ・アームストロング、ジェームス・ブラウン、
ジョー・コッカーのようなしわがれ声、日本でも義太夫節のように一般的には決してキレイで無い声が
好まれたりもします。
ジョンは本来しわがれ声ではありませんけれども、本テイク収録時に限っては結果的にそうなり、
それは奇しくも彼らがお手本にしたアイズレー・ブラザーズ版に寄ることになったのです。
このジョンによる歌唱は、オペラ歌手やプロのボイストレーナーからすれば決して褒められる
ものではないのでしょうが、初期のビートルズを代表する楽曲として人々の心を掴んで
離さないのです。勿論それはジョンの歌に因るものだけでないのは言わずもがなですが。

#243 A Single Man

” 髪は長い友達 ” という育毛剤のキャッチコピーが昔ありましたけれども、友もいつかは去ってしまう
事が往々にしてあります。結構早いうちにいなくなってしまう場合も・・・・・

エルトン・ジョンも頭髪にコンプレックスを抱いていた一人です。二十代の前半から薄毛が
目立ち始め、小太りの体形と共に劣等感に苛まれました。
成功して金に不自由しなくなってからは植毛手術を試みており、パリで何度も手術を施されたそうです。
わざわざパリまで … イイ医者がいたんですかね?
あるとき車へ乗り込む時に手術してまだ日が浅いのに頭頂部をこすってしまい、その拍子に縫い付けた
半分くらいがめくれてしまったそうです。笑い話のようですが本人にとっては深刻です・・・
あ!これ別に〇ゲの人をバカにするブログではなく、エルトンが78年に発表したアルバム「A Single Man」
についてです。
上はオープニング曲「Shine on Through」。動画のサムネはアルバムジャケットですが、
この頃から帽子(特にシルクハット)を愛用するようになったそうです。やはり頭髪を
気にしての事だったのでしょうか?英国紳士っぽいですね。まあ、英国人ですからね …
紳士かどうかはわかりませんが・・・・・エルトンに謝れ … (*´∀`;) …

この頃エルトンはショービジネス界でのパーティーへ頻繁に顔を出しており、エルヴィス・プレスリーとも
知り合いました。それらのパーティーでは当たり前のようにドラッグが振る舞われていたそうです。
エルヴィスが重篤なドラッグ依存症だったのは有名な話ですが、こういう環境がポップスター達を
ジャンキーに仕立てていったのでしょう。エルトンが手を出したかどうかは … 言わずもがなです・・・
良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ☆(ゝω・)v!!・・・・・しねえよ … (*´∀`;) …
上は1stシングル「Part-Time Love」。全米40位・全英15位でした。

70年代半ばから後半のポップミュージック界ではディスコそしてパンクの旋風が吹き荒れました。
本アルバムのチャートアクションは全米15位・全英8位、RIAA(全米レコード協会)で
プラチナディスク(売上が100万枚以上)に認定されていますから、普通のミュージシャンであれば
申し分ない結果なのですが、しかしそこはエルトン・ジョン、普通の人ではありません(失礼な … )。
明らかに以前のビッグヒットを連発していた頃から比べるとその人気に陰りが見えていました。
ディスコやパンク勢に圧され、当時においてすでに過去の人扱いであったそうです。
我が道を往くイメージのあるエルトンですが、ローリングストーンズでさえ取り入れたディスコですから
多少なりとも影響は受けたようです。それが上のB-④「Madness」。
順序は逆になりますがその上はB-③「Shooting Star」。この時期のエルトンは本曲のような
内省的な曲調が多くなりました。

この時期エルトンはローリングストーン誌の取材を受け、そこで初めて自身が男性も愛せるという
事を公言しました。現在ではエルトンが同性愛者であるのは周知の事実であり、それが殊更大げさに
取り上げられることもないのですが、まだまだゲイに寛容な時代ではなく、その事実はスキャンダラスに
報じられて世間から忌み嫌われ、特にアメリカでの人気を押し下げる一因となったそうです。
もっとも逆に本国イギリスではエルトンが見直され、その後のチャートアクションは米より英の方が
良い場合が多くなりました。不思議なものです。
ちなみに正確に言うとエルトンは両性愛者であり、所謂 ” 両刀使い ” というやつです。女性と結婚して
子もなしています。
上はそんな事実を物語る一曲(あ!両刀使いの話じゃナイですよ!・・・ややこしい … (*´∀`;) … )。
エンディングナンバーであり2ndシングルの「Song for Guy」は、米では110位という散々な
結果であったのに対し、英では最高位4位という大ヒットを記録します。ほとんどインストゥルメンタル
であり最後の方に少しだけエルトンの歌が入る本曲は、当時エルトンのメッセンジャーボーイだった
17歳の少年がバイク事故で亡くなってしまい、彼に捧げられて作られた曲であるとの事。

#207から一年半に渡りエルトン・ジョンについて書いてきました。
80年代以降も勿論エルトンは活動を続け、既述ですがジョージ・マイケルと共に再び取り上げた
「Don’t Let the Sun Go Down on Me」(91年、#238)、ディズニー映画「ライオンキング」
(94年)、そしてダイアナ妃を追悼する為に再録した「Candle in the Wind」(97年、#228
などが大ヒットし、常にポップミュージック界のメインストリームに君臨し続けています。
昨年も「The Lockdown Sessions」をリリースし、アルバム・シングル共にTOP10ヒットを
記録しました。
しかしながら80年代以降のエルトンについて引き続き書いていくと、いつ終わるのかな?
それより私のお迎えが先なのでは?などと思ってしまったりして・・・・・
なのでエルトン・ジョンについてはいったん今回にて終了という事で。
機会があればまた取り上げてみたいと思います。
さて … 次回からは ……… 何を書こうか?・・・・・大丈夫だ、誰も期待してねえから … (*´∀`;) …

#242 Blue Moves_2

” レコード会社 ” と ” 音楽出版社 ” の違いというのはなかなか分かりづらいものです。
前者は原盤(レコード・CD)の権利、後者は楽曲自体の権利を管理するという理解で
概ね良いそうですが、それでもあまりピンと来ませんよね・・・・・

ビートルズで言えばレコード会社はEMI傘下である「パーロフォン」。英以外ではまちまちで、
米ではキャピトル、日本では当然東芝EMIでした。「ホワイトアルバム」以降は言うまでもなく
アップルレコードです。
ではレノン&マッカートニーによる数多の楽曲を管理している音楽出版社は?と問われると
???(´・ω・`) … ある程度洋楽に通じている人でもこうではないでしょうか。
答えから言えば「ノーザンソングス」。名マネージャー ブライアン・エプスタインが
ディック・ジェイムズという人物に依頼してビートルズの楽曲を専門に扱う音楽出版会社
「ノーザン・ソングス社」を設立しました。
以上はかなり要約したものなので、細かいツッコミはご勘弁を・・・・・

ちなみにこれはビートルズをテーマにしたブログではなく、引き続きエルトン・ジョンについてです。
このディック・ジェイムズという人物、折に触れDJMレーベルというワードが出てきていますが、
DJMとは「ディック・ジェイムズ・ミュージック」の事。つまりエルトンがデビューから
所属していたレコード会社の代表です。
エルトンとディック・ジェイムズの馴れ初めは、息子であるステファンが父が居ない夜間に自社のスタジオをエルトン達に使わせたのですが、運悪く(運良く?)スタジオ前を車で通りかかったディックが
灯りが点いているのを不審に思いスタジオに入ってみると息子とエルトン達が居た、というものでした。
しかしその時は寛大に ” 使ってイイよ ” 、と許可したそうです。出来上がった素材を聴いてエルトンの才能を見抜いた彼は早速契約を交わしました。
ミュージシャンというのは大体銭勘定に疎いです。音楽ばっかりで商いや業界の仕組みはサッパリという
場合が多く、特にデビュー時などは青二才が業界の海千山千達にイイ様に契約させられる、というケースが
往々にしてあります。
ビートルズも解散後はそれに関してすったもんだがあったのは有名ですが、世間知らずに付け込まれ
都合のイイ条件で契約させられたのはジョンやポールに限りません。余談ですが85年にそれら権利の
殆どがマイケル・ジャクソンによって買い取られたのは洋楽好きなら周知の事実。
エルトンもご多分に漏れずその様な一人でした。
前回に続いて76年の二枚組アルバム「Blue Moves」回です。上はA-④「Chameleon」。
コーラスでビーチボーイズのブルース・ジョンストンが参加しています。

年二枚のアルバムを出すという契約などが他に無かった訳では無いようですが、やはりかなり厳しい条件で
あるのに変わりはなく、そして何よりそこからエルトン達にもたらされる成果が決して分の良いものでは
なかったそうです。勿論これらは成功を収めた後に周囲から(弁護士など)言われてエルトン達も
はじめて気づいたものです。巨万の富を得たエルトンではありますが、だからこそ周りには
「キミは搾取されている!もっと貰って良いはずだ!オレが掛け合ってやる!!」というい取り巻きが
現れた、という事もあったのでしょう。
やがてエルトンとディック・ジェイムズは裁判で争う事となります。そしてその結果は、泥沼の末
時間と経費だけを費やし、最後は幾ばくかの金銭をディック側が支払うという結末に終わります。
どちらも得をしない一番悪いエンディングです。裁判は大人のケンカと言われますが、
この場合はまさしく喧嘩両成敗といった結末であったでしょう(例えが合ってるかな?)。
上はB-④「Shoulder Holster」ですが、前回も書いた通りこの様な泥臭いロックナンバーが
エルトンの十八番では?とあらためて思わされます。

「Blue Moves」はエルトンが設立したレーベル『ロケットレコード』よりリリースされます。
元々はバンドのギタリスト デイヴィー・ジョンストンのソロアルバムを創るために新たなレーベルを
興そうとしたのが始まり、とどこかで読んだ記憶があるのですが間違っていたらご勘弁を・・・
クリフ・リチャードやニール・セダカといったビッグネームと契約し、勿論エルトンとゆかりのある
デイヴィーやキキ・ディーといったミュージシャン達を擁しました。
エルトン自身のレコードを出すためのレーベルではなく、若手に作品を出させる機会を与えるのが
目的であったと言われています。ただ当然ゆくゆくは自分の作品も、という思惑も無かった訳では
ないでしょう。
上はゴスペル風味のⅮ-①「Where’s the Shoorah?」。あ!あと書き忘れるところでしたが、
一番上の動画は本作からのヒットシングル「Sorry Seems to Be the Hardest Word」です。

本作については二枚組にして冗長になってしまったのではないか?一枚にまとめればもっと良かったのに?
などという声が散見されます。たしかに私もそう思わなくもありません。しかし、自身によるレーベルからの初リリースという事もあり、エルトンの意気込みもかなりのものだったのでしょう。
彼の様な天才には好きにさせておく方が良いのです。そういう表現者は稀にしかいないのですから。
上はラストを飾る「Bite Your Lip (Get Up and Dance!)」。エンディングにふさわしいまさしく
大円団といったナンバー。もう一つは何度も出てきますが80年のセントラルパークにおけるプレイ。
ディー・マレー(b)とナイジェル・オルソン(ds)も戻ってきています。仲直りしたんですかね?
そう、” 仲良きことは裁判より美しき哉 ” ですよ。あっ!うまいこと言っちゃったかな?(*´▽`*)
いや、全然うまくないよ (´・ω・`) ・・・・・

#241 Blue Moves

喧嘩両成敗などと申しますが、永年虐げられていて積年の恨みから思わず手を出してしまった場合や、
またお門違いの一方的な私怨で突っかかってこられたものなど、その全てがどちらも悪いなどと
十把一絡げで片付けられてはたまったものではありません。・・・・・・・
ここまで書いて思い出したのですが、以前にもこの様な文章を書いたような記憶が ……………………
まっ、どうせ誰も読んでないんで … このブログ ……… (*´∀`;)・・・・・・・・・・・・・・・

エルトン・ジョンが75年10月に発表したアルバム「Rock of the Westies」。前作に引き続き
ビルボードのアルバムチャートで初登場1位となります。ちなみにエルトンのオリジナルアルバムで
1位となったのは本作が最後です(94年にディズニー「ライオンキング」のサントラがチャートの
トップになっていますがあれは企画ものなので)。上はオープニング曲である「Medley: Yell Help / Wednesday Night / Ugly」。

75年2月にエルトンはアルバムには収録されなかった(後にベスト盤に入る)「Philadelphia Freedom」をリリースします。当然の様にシングルチャートでトップに輝きます。本曲はある女性テニスプレイヤーの
為に書かれた曲。余談ですがなぜかこれだけ ” エルトン・ジョン・バンド ” の名義になっています。

同年9月には「Rock of the Westies」よりの先行シングル「Island Girl」がこれまた1位に。
この頃はNo.1が当たり前になっています。

しかしながらエルトンについて語られる時、よく言われるのが本作「Rock of the Westies」より
作品のクオリティーが落ちてきた、という事です。私個人的にもそう思います。先述の「Island Girl」
などは数多あるエルトンの名曲群においてそれほどのものとは思えません。もっともNo.1ヒットしたものが
必ず優れた曲かと言えば、そうではない事は言わずもがな・・・・・
とは言ってもそこはエルトン。凡百のミュージシャンとは訳が違います。A-⑤「I Feel Like a Bullet
(In the Gun of Robert Ford)」とB-①「Street Kids」は本作における秀逸なナンバー。
前者はエルトンらしい陰影に富んだスローナンバー。後者は3rdアルバム辺りに立ち返ったかのような
活きの良いロックチューン。エルトン・ジョンと言えば「ユアソング」「キャンドル・イン・ザ・ウインド」といったバラードや、「タイニーダンサー」「ロケットマン」などの壮大かつ深淵な楽曲、あるいは
「クロコダイルロック」の様にポップなR&Rが一般的な印象でしょうが、私はある意味本曲の様な
少し泥臭いロックナンバーがエルトンの真骨頂なのではないかと思っています。

本作からディー・マレー(b)とナイジェル・オルソン(ds)がバンドを離れています。契約の終了とも
伝えられていますが、前回述べたようにエルトンはこの時期酷い状態であり、周囲の人間も腫れ物に触る
ような状況だったらしく、二人がエルトンの元を去ったのはそれも原因としてあるかもしれません。
ただしデイヴィー・ジョンストン(g)は残っています。かれはエルトンのお気に入りだったようですから、
あっ!別に変な意味ではなく純粋にギタリストとして、多分・・・・・
作品の質が低下した要因としては色々な人が色々な所で色々な事を述べています。エルトン自身の中で
アイデアが枯渇してきた、DJMレーベルとの年二枚アルバムを出すという契約、ツアーやプロモーション
などに追われる日々、そしてドラッグ・アルコール・過度なダイエットとリバウンドなどなど・・・
おそらく全てが関わっているのでしょう。どんな天才でも一日は24時間しかないのです。

一回でまとめようと思いましたがムリそうなので二回にわけます (*´∀`;)
あっ、ちなみに今回のテーマである「Blue Moves」とはエルトンが76年10月に発表した二枚組アルバム
「蒼い肖像」の原題。一番上はA-②「Tonight」です。