#190 Big Shot

爆発的な成功を収めたミュージシャンが次にどうでるか?
その成功がミュージシャン本来のスタイルであったならば、基本的に前作を踏襲した新作を
創るでしょう。あえて奇をてらう必要は全くありませんから。
しかしなかには爆売れした前作とは打って変わった作品を創り、良い意味で世間を裏切り、
予想の斜め上を行ったミュージシャンもいます。
「アンプラグド」第二弾の様なアルバムを作れば、再度のビッグセールスは間違いなかったのに、
あえてそれをしなかったエリック・クラプトン(#11ご参照)。
同じように「パープル・レイン」のメガヒット後に、当時全く流行の予兆もなかったサイケデリック色を
前面に打ち出した「Around the World in a Day」という傑作アルバムでこれまた世間を
あっと言わせたプリンス(#51ご参照)など。
アルバム「ストレンジャー」が空前の大ヒットとなったビリー・ジョエルははたして?

ビリーにとって最初のヒット作「ピアノマン」の次作である「ストリートライフ・セレナーデ」が、
制作期間の短さから(11か月)、決してそのクオリティーにおいて十分でなかったのは既述ですが、
十分な期間が与えられなかったのは、「ストレンジャー」の次作である「52nd Street
(ニューヨーク52番街)」についても同様でした(13か月)。ではその出来栄えはというと・・・

上は「52nd Street」のオープニング曲「Big Shot」。のっけからエッジの効いたサウンドとフレーズに
当時の人は度肝を抜かれたのではないでしょうか。「素顔のままで」でビリーを知った大半のリスナーは
当然それを期待していたでしょうが、それを見事に良い意味で裏切るハードかつパンキッシュささえ
感じられる快曲。個人的には本作におけるベストトラックです。
 お前は「大物」にならなきゃいけないんだろ。
 お前は「大物」にならなきゃいけない。
 お前は「大物」になりたかったんだろ。
強迫観念になりそうな程成功する事を願っている人物を揶揄した内容、という事で大体あってるかな?
と思います。しかし結局は引き際を見誤ってしまったというオチ・・・・・・・・・
「ストレンジャー」及び「素顔のままで」の大ヒットにより一躍時の人となったビリーがどんな新作を
聴かせてくれるのか?そう期待していた聴衆に対してこれ程の皮肉はないでしょう。
「ストリートライフ・セレナーデ」の二の轍は踏まなかった訳です。決して十分な制作期間があった訳では
ないことは既述ですが、そんな事を全く感じさせない強者の余裕すら感じさせます。
ビリーにとっては ” してやったり ” 、といった感じだったのではないかと私は思っています。

だいぶ短いのですが、前回が長すぎたので帳尻合わせとして今回はこれにて。次回以降は当然しばらくの間
「52nd Street」及びその収録曲についてです。

#189 Scenes from an Italian Restaurant_3

ビリー・ジョエルの「Scenes from an Italian Restaurant(イタリアンレストランで)」
についてその3。

ブレンダとエディは75年の夏にはもうこうなる運命にあったんだよ
上から下まで経験してショウの終わりを迎えたんだ
これからの残りの人生街のチンピラに戻るわけにもいかず
二人にできる最良のことは粉々になった破片を拾い集めることだけ
でも僕らがずっと知ってた通りあの二人はきっと切り抜ける道を見つけたよ

上の第四部で再びAメロに戻った際の歌詞は、” 75年の夏 ” というフレーズが再度使われ、
前のAメロと対を成しています。75年の夏に結婚することを決めたという前の歌詞に呼応する、
その時点で既に二人の破綻は見えていたという皮肉な話しに始まり、ブレンダとエディの ” ショー ” は
終わりを迎えたという流れ。若さや情熱だけで人生を乗り切る事は出来なかったのです。
ただし少し救われるのは最後の切り抜ける道を見つけるというくだりです。破滅の道は
歩まなかった、しかも皆はそれをずっと知っていたというフレーズが意味深です。

さあ僕が聞いたのもここまでだ ブレンダとエディのことは
今話した以上のことは知らないのさ さあこのへんで
ブレンダとエディに手を振ってこの話を終わりにしようじゃないか

第四部は上の様な歌詞にて締めくくられます。注目すべきはここでは ” 僕が ” つまり ”I” という
単語が用いられ一人称の語りになっていることです。それまで語り部が現れず説明的に述べられて
いたのが最後になって登場し、手を振って終わりにしよう、となっています。
そして勿論 ” Brenda And Eddie goodbye ” というフレーズが最初のAメロの終わりと
対を成しています。もう少し詳しく言うと初めが無茶を押して結婚する彼らに、
But there we were wavin’ Brenda and Eddie goodbye.
(でも僕らは手を振ってブレンダとエディを見送った)
だったのに対して最後が
And here we are wavin’ Brenda And Eddie goodbye.
(さあこのへんでブレンダとエディに手を振ってこの話を終わりにしようじゃないか)
と見事にコントラストを成しています。
楽曲及び演奏面も秀逸で、特に後半におけるベースのオフビート、所謂裏打ちが
この上なく見事です。全然ハッピーな結末ではないのに高揚させてくれちゃってます。

https://youtu.be/CRZsMrQSe4s

A bottle of reds, 
ooh a bottle of whites
Whatever kind of mood you’re in tonight
I’ll meet you anytime you want In our Italian Restaurant
赤ワイン ああ それとも白ワイン 今夜はどんな気分なんだい?
きみが好きなときに いつだって会いに来るよ
あの僕らのイタリアン・レストランで …

最後が第五部で上記の歌詞です。楽曲は第一部と同じ(エンディングらしくもっと
仰々しくなっていますが)、歌詞も当然なぞっています。
上の動画は06年、東京ドームでの模様です。ビリーのライヴアクトは70~90年代初頭くらいまでが
圧倒的に良くて、それ以降は個人的にあまり好きでないのですが、これはその中では秀逸な演奏。

前々回も述べましたが私はポップミュージックにおいて歌詞にあまり重きを置かない方です。
歌詞を深読みし過ぎて、特にボブ・ディランやジョン・レノンマニアの一部は音楽そっちのけで
珍妙な解釈を展開する人たちが少なからずいます。多分ディランやジョンはそんな事考えて
書いた訳ではないというのに・・・・・
しかし本曲についてはその歌詞、そこからイメージされる映像が重要であるのであえて語ります。

まず最も議論になるのが第一部及び第五部でイタリアンレストランにいるのはブレンダとエディ?
はたまた別人達か?というもの。これはどちらでも成り立ちます。ビリーもそれについては
コメントしていないようです。多分よく質問されてきたのでしょうが、” さあ?どうかな?アハハ!”
みたいにはぐらかしてきたのでしょう。ただしブレンダとエディのモデルになった人物たちは
いるらしく高校の同級生だったようです。10年後の同窓会は仕事で出席できず、20年後のは
出席できたらしいのですが(91年頃)、その時に会ったモデルの二人は、見る影もなかったそうです…

第二部が第一部の続きの様に捉えられがちであるが、それだと結婚生活順調な既婚男性が昔の恋人を
誘っているという鬼畜な流れになってしまうのでそれは考えづらいというのは前々回で既述。
そしてこれも議論の的になるのが第二部はブレンダとエディであるのか?というもの。
これもそうであってもなくても成り立つので解釈は人それぞれですね。

これから述べるのはあくまで私個人の解釈であり、そこから浮かぶ映像のイメージです。忙しい方は
ちゃっちゃと読み飛ばしてください ………… あっ … でも … ちょっとは読んでほしいかも・・・・・

第一部は勿論イタリアンレストランで。語り部は男性で、差し向かいで座っているのは恋人の女性と
考えがちですが、友人でも成り立ちますのであえて向かいの席の相手は映しません。

第二部における昔の恋人との邂逅は偶然街中で、とかのベタな設定で構わないでしょう
” やんちゃ ” な10代を振り返るパートは当時を懐かしむ二人のシーンで。
そして男性は第一部の人物でもありません。第二部の男女は全く別のストーリーなのです。
フレームストーリーというビリーの言からこういう設定は十分考えられます。

第四部は前回述べたようにブレンダとエディの物語が、マンガなら背景に、映画なら字幕テロップで
説明的に綴られます。二人にあえてセリフはありません。その方が引き立つような気がします。

そして第五部ですが、その直前における第四部終盤で一人称になる所で、ブレンダとエディの
映像は映画館のスクリーンに映し出され、それを観てスクリーンに手を振っている何人かの人々が
登場します。その中には第二部の男女もいます。勿論第一部の男性もいますが、中央に居る
彼に関してはあえてその顔を映しません。
やがてフィナーレを迎える第五部に突入した所で舞台は映画館からイタリアンレストランへ
変わり(CGとか使えば出来るんでしょ、多分)、中央に居る男性が振り返るとそれはビリー・ジョエル。
つまり第一部の男性はビリーと同じ背格好・髪型で、当然着ていた物も同じにしていたという訳です。
少し凝り過ぎかな?とも思いますが、このぐらいのサプライズはあってもいいのでは。

結局ビリーが本曲で言いたかった事は何なのか? 若い時くらいはムチャをしろ!でしょうか、それとも
若さやパッションだけでは人生は乗り切れない、もっと計画的に。という事でしょうか。
どちらでもなく、またどっちでもある、と私は思っています。本曲はその曲調とは裏腹に、かなり達観した、
かなり飛躍するかもしれませんが、手塚治虫の名作『火の鳥』のような、” 上からの目線 ” で(
この場合の
上から目線はエラそうにという意味ではなく、文字通り上空からの、鳥の視点でという意味)、
人々の生き様を見つめているものの様な気がします。
若気の至りで突っ走っても、ミラクルなどが起こる事はまずあり得ず、人生は当然の結果を迎えるんだ。
だけど若さや情熱で勢い余ってしまうのは悪いことなのか?そうでもないぜ、それもまた人の生き方さ!
前回にて第四部のBメロの最後(ブレンダとエディの結婚生活が破綻していく箇所)に
” yeah rock n roll ! ” と叫んだことをただのノリかもしれないが、結構重要なポイントであるかもしれないと述べました。現実生活では当人たちにとってかなり危機的な状況であっても、客観的に見れば
何百万という人々が経験している事であり、それもまた人の人生さ!ロックンロール!! という、
あれはそういうニュアンスかな、と私は思っています。

ビリーが若い時から鬱病を患っていた事は以前に触れました。この人は決してポジティヴな思考の人では
ありません。これはビリーによる青年たち(ヤンチャな気質の)が経験する通過儀礼を良いとも悪いとも
せずに、いわば ” ケセラセラ ” 的な、かなり控えめな応援歌なのでないかと私は思っています。
そしてイタリアンレストランとは結局何なのか? モデルとなる店が存在したというのは既述ですが、
このレストランは、世間一般に決して成功したとは言えない、。若い時にヤンチャした者たちを、
甘やかす訳でもなく、かと言って冷遇するでもなく、ただ淡々と受け入れてくれるこの世のどこにも
実在しない精神的な拠り所なのではないかと考えています。そうであるなら第一部における語り部の
相手が必ずしも女性でなくとも成り立ちますしね。ちなみに、
” A bottle of reds, ooh a bottle of whites Whatever kind of mood you’re in tonight ”
というフレーズは、ビリーがその店で実際にウェイターから投げかられた言葉だそうです。
意外にキッカケは何てことないものだったんですね。でもそのウェイターはちょっと粋ですけどね …

音楽的にはハリウッドの映画音楽・ミュージカル、ディキシーランドジャズ、ラグタイム、そして
R&Rと、この時点におけるビリー流アメリカ音楽の集大成になっていると私は思っています。

かなりの長文になってしまいました。四回に分けようかとも思いましたが、切りのイイ所で三回に
まとめたらこの文量です。正直まだ書き切れてない事柄もオッパイ … もとい、いっぱいあります・・・・・
35年前にベスト盤で本曲を聴いて以来、自分にとっては「ストレンジャー」のベストトラックでもあり、
ビリーの中でも三本の指に入るお気に入り曲であったので、思い入れが強く、ブログを始めたら
必ずこの曲については書きたい!、と思っていた曲なのでこの様になりました。
” 大丈夫、誰も読んでねえから (´∇`) ” 、とか自虐ネタ
はしません。はじめにそう決めましたから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう … キメたんですか … ら ……
………………………………………………………………………………………………………………… °(´∩ω∩`)°。

#188 Scenes from an Italian Restaurant_2

ビリー・ジョエルと言えば我が国では「素顔のままで」や「オネスティ」といったバラードが
有名であり、おのずとビリーが書く歌詞はラブソング、という印象が強いです。
しかしアルバム「ピアノマン」の回でも触れましたが(#176~177参照)、「ピアノマン」、
「さすらいのビリー・ザ・キッド」、そして「キャプテン・ジャック」といった楽曲から、
彼にはその曲の歌詞に物語を紡ぎだす傾向がありました。というよりむしろラブソングより
そっちの方が好みだったと言えます。
アルバム「ストレンジャー」のA面ラストを飾る「Scenes from an Italian Restaurant
(イタリアンレストランで)」はそれらが結実した名曲です。

前回に引き続き「イタリアンレストランで」について。
3:03辺りから始まる第四部が本曲のメインである事は衆目の一致する所でしょう。
ブレンダとエディのバラード、とでも呼ぶべき本パートは、文字通りその二人について語られます。

Brenda and Eddie were
the Popular steadys
And the king and the queen
Of the prom
Riding around with the car top
Down and the radio on.
ブレンダとエディは
人もうらやむ人気のカップル
ダンス会場じゃ
まるでキングとクイーンだった
ラジオから音を出して
オープンカーを乗り回してたよ

グルーヴィーでノリノリのミディアム16ビートで歌われる本パートは、ブレンダとエディの
華やかな様子から始まります。ここから以前と決定的に違うのは第三者の視点で語られる所。
第一部と第二部は人物が登場しその人が語り部となっています。マンガで言えば
ちゃんと姿を見せてその人物が言っている事が所謂ふきだしにセリフとして描かれているものでしたが、
第三部は語り部も登場せず、空や背景の部分に説明的に書かれる様なものです。
そしてそのマンガの内容と言えば当然ブレンダとエディが描かれている事は言うまでもありません。
このパートは長いので、以下は和訳のみを載せます。

彼らよりカッコいいのは誰もいないしパークウェイ・ダウナーじゃ
誰よりも人気者だったんだあんな生き方ができたら
他にはなにも望まないってみんなが思ってたのさ
ブレンダとエディはいつだって生き残り方を知ってるって信じてた
ブレンダとエディは75年の夏にはまだ付き合っていたんだ
そして彼らは7月の終わり頃に結婚することに決めたんだ
誰もがあいつらどうかしちゃったよって言ってたよ
“ブレンダ あんたは怠け者で主婦はできそうにない”
エディはあんな人生を送れるほど稼げてない”
でも僕らは手を振ってブレンダとエディを見送った

以上が4:10辺りまで。人もうらやむベストカップルの華やかな様子とそれを羨望のまなざしで
見守る周囲の人々。やがて勢い余って結婚すると決めた二人に周囲はまだ若すぎて無理だ、
準備が整っていないと窘めるものの、最後には彼らの結婚を見守る様子が伺えます。

ああ 彼らはふかふかのカーペットのアパートに引っ越したんだ
シアーズで買った2枚の絵画2年間節約して貯めた
なけなしのお金で買った大きなウォーターベッド
家計がきつくなってきたら彼らのけんかが始まったんだ
泣いてもかまいやしなかったんだ

上の歌詞からがBメロ。展開が変わってそのドラマも新たなシーンへ移行します。
節約していた堅実な所と、身の丈に合わない買い物をして結局は困窮する所にヘンなリアリティを
感じます。そして経済的な破綻は人間関係の破綻にも及ぶという当たり前の展開が見え始めます。
ちなみに和訳には載っていませんが、最後に ” yeah rock n roll ! ” とシャウトしています。
ここ、結構重要なポイントだと私は思っています(ノリで叫んだだけかもしれませんが・・・)。
この後の間奏でサックスソロが入るのですが、ビリー・ジョエルでサックスと言えば
「素顔のままで」におけるフィル・ウッズのプレイばかりが取り上げられがちですけれども、
ここではビリーバンドのサックス奏者 リッチー・カナータによる素晴らしいテナーが炸裂します。
上記の歌詞及びこの後の内容から考えれば、映画的に言うと本サックスソロが流れている個所の映像は
破綻へとなだれ込んでいくブレンダとエディの様子がセリフなしで描かれることでしょう。
しかし本パートにおいての曲調もそうですが、本サックスも全く悲壮感はありません。例えてみれば
乾いた客観性とでも言いましょうか、起きている事象はシリアスなのに、ノリノリでゴキゲンに
表現されています。カントリー&ウェスタンなどにこういう曲調&歌詞が多いですね。

https://youtu.be/okyI2MAe6Sc
しばらくは彼らもあこがれの暮らしをしてたわけだけど
でもいつだって最後はおなじだね彼らは当然のように離婚したんだ
近しかった友達とも疎遠になったしキングとクイーンは田舎に帰ったんだ
でも二度とあのよかった時代には戻れない

間奏の後に再びBメロが訪れ、ドラムブレイクが入るパートは一番盛り上がる箇所ですが、
皮肉にもこの場面にて二人の決定的な破綻が物語られています。
上は90年ヤンキースタジアムでのライヴ。前回上げた82年のライヴに勝るとも劣らぬ
ノリノリのパフォーマンスであり、さらに音質・画質共にこちらの方が良いのでおススメ。

前回の最後で二回に分けると言いましたが、ダメでした・・・二回でも書き切れません。
続きはまた次回にて。

#187 Scenes from an Italian Restaurant

ビリー・ジョエルのアルバム「ストレンジャー」について取り上げてきましたが、
お分かりの人には ” あの曲がヌケてねえか? ” と思われたことでしょう。
” 読者がいればな (´∇`) ” 、なんて自虐ネタはもうやめます。たとえ誰一人として読んでくれてなくても、
自分のライフワークだと思って描き続けていく事を決めたのです。今キメました !(`・ω・´) ・・・
決めたんです …… そうなんですよ・・・・・だから …… オネガイデスカラ・・・・・。°(´∩ω∩`)°。

「Scenes from an Italian Restaurant(イタリアンレストランで)」。A面ラストに収録された
7:37に渡る長尺の本曲は、シングルカットされたわけでもなく、映画のサントラに使用されたという
わけでもなく(多分)、それでいてビリーファンはもとより、それ以外のリスナーからも長きに渡って
愛され続けているナンバーです。

ビリーファンには言うまでもない事ですが、このイタリアンレストランとはビリー行きつけの実在する
店でした。カーネギーホール近くにある『フォンタナ ディ トレビ(=トレビの泉の意)』という
レストランで、不確かな記憶ですけれども、ここ十年以内くらいに閉店したというネットニュースを
見た記憶があります(定かではない)。
これも不確かですが、ビリーが食事を取っていた際にある男女が最後の夜をその店で乾杯し、
思い出話にふけっていた、という実際に遭遇したシチュエーションを基にしたとかしないとか。

今までにも述べてきましたが、私はポップミュージックにおいて歌詞にそれ程重きを置いて
聴かない人間なので、普段は取り上げないのですけれども本曲に関してその歌詞の内容を
避けて通れません。

A bottle of white, a bottle of red
Perhaps a bottle of rose instead
We’ll get a table near the street
In our old familiar place
You and I
face to face
白ワイン 赤ワイン
それとも代わりに ロゼもどうだい?
お馴染みの店の
窓際の席に座ろうか
きみと僕
顔と顔を見合わせて

A bottle of red, a bottle of white
It all depends upon your appetite
I’ll meet you any time you want
In our Italian Restaurant.
赤ワイン 白ワイン
きみが飲みたい方にするよ
きみが望めばいつだって会いに来る
僕たちのお決まりの場所
このイタリアン・レストランでね

始めは一人称で歌われます(これが後半と対比されて重要な意味を持ちます)。語り部はどう考えても男性。
相手は普通に考えれば女性と捉えがちですが、男性でも成り立つかな?、と(別にホ〇とかじゃなくて)。

本曲は異なるパートから構成されています。三つと捉える向き、厳密には五つと捉える人。私は五つ派なので
そちらを基に話を進めます。
第一部は上記の歌詞が歌われるイントロ、イタリアンレストランパートと名付けましょうか。
ビリーはこれを ” フレームストーリー ” の手法を用いたと語っています。日本語では枠物語とされ、
導入部が外枠の話とされ、その後(内側)に短い物語を埋め込んでいく入れ子構造の物語形式だそうです。
文学に疎い私はイマひとつ? なのですが、かろうじて何となくの意味は理解できます。

Things are okay with me these days
I got a good job, got a good office
I got a new wife, got a new life
And the family’s fine
We lost touch long ago
You lost weight I did not know
You could ever look so nice
after so much time.
僕も最近 うまくやっているよ
いい仕事 いい職場に出会えたんだ
いいかみさんを見つけ
新しい生活をしているよ
家族もみんないい人たちさ
ずいぶんと会ってなかったね
痩せたことも知らなかったし
長い時を経て
とってもきれいになったんだね

Do you remember those days
hanging out at the village green
Engineer boots, leather jackets
And tight blue jeans
Drop a dime in the box
play the song about New Orleans
Cold beer, hot lights
My sweet romantic teenage nights
あの頃のこと 覚えてる?
ちっちゃな公園をぶらぶらしてた
工場の安全靴 革ジャン
タイトなブルージーンズを履いて
ジュークボックスにコインを入れて
ニュー・オーリンズの歌をかける
冷たいビール 熱いライト
10代の夜はとてもロマンチックだった

1:44辺りから第二部へと移ります。ディキシーランドジャズパートとでも呼ぶべき本パートは、
スタッカートの効いたピアノと共に歌われる前半分が導入部となり、後半分がディキシーランドジャズ調の
演奏がなされ、この後半が第二部におけるメインでしょう。
前半の歌詞からどう考えても昔付き合っていた女性と久しぶりに会った既婚男性のセリフです。
後半は恋仲にあった10代の頃に思いをはせる内容。あまり真面目ではなく、というよりは
” ツッパっていた ” カップルであった事が伺えます。
第一部から引き続き一人称で語られるので、同一人物によるものかと思ってしまいますが、
いくらフランクなアメリカ人でも、結婚して順調な生活を送っている男性がイタリアンレストランで
昔の恋人と食事をし、しかも ” いつでも会いに来るよ ” 、などと言うのは考えづらいでしょう
(勿論そういう野郎は古今東西いますけれども・・・)
であるので、第一部と第二部の語り部は別の人物、ビリーが言う所のフレームストーリー的には
第二部はイントロダクションとは既に別の物語へ移っていると考えるべきでしょう。

上は82年、地元ロングアイランドおける「イタリアンレストランで」。元のテープが劣化して
音は悪いですが(というよりピッチが揺れているのでかなりヒドイ方です)、
ビリーはもとより、
バンド全員がノリノリのパフォーマンスで素晴らしい。エンターテインメント音楽とは
こうあるべきだと改めて思い知らされます。ビリーがジョージ・マーティンとの仕事を蹴ってまで
守ろうとしたのが頷けます。

2:48辺りからがピアノソロパート、これが第三部と呼べるもの。そして次の第四部へと
なだれ込んでいく訳ですが、長くなったので二回に分けます。

#186 The Stranger

1964年2月9日。一部の人以外には ” 誰それの誕生日とか? ” とか言われて終いですが、
その一部の人たちには説明不要なまでにメモリアルな日です。一部の人たちとはビートルズファン。
アメリカにおける人気番組『エドサリヴァンショー』にビートルズが出演し、その回は
全米で7500万人以上が視たと言われています。
これを視た若者たちがこぞってギターを買いに走ったとか。その中にはブルース・スプリングスティーン
などもいました。

ビリー・ジョエルがギターを買いに走ったかどうかはわかりませんが、彼もこの放送によってR&Rの
洗礼を受けた一人です。勿論エルヴィスなどは既に聴いていたのでしょうが、自分より少し年上の
イギリス人によるこの音楽にすっかり虜となったのです。
結構有名な話しですが、77年のアルバム「The Stranger」のプロデューサーとして、はじめは
ジョージ・マーティンへ依頼したそうです。マーティンもビリーの音楽に興味を持ち、
話は動きかけたのですが結果的におじゃんとなります。それは何故だったのか?
上はタイトルトラックである「The Stranger」。日本で特に人気のある曲ですがそれには理由があります。
米ではなされなかったシングルカットが日本のみでされ(厳密には豪・仏等でも)、オリコンチャートで
2位という大ヒットなります。50万枚近くを売り上げ洋楽としては空前の成功を収めました。
ニヒルな口笛のイントロに始まり、一転してハードな曲調、そしてまた口笛のエンディングへと。
日本人の琴線に触れる要素を幾つも兼ね備えています。

話は少し遡ります。アルバム「Turnstiles」(76年)はビリー自身のプロデュースとなっていますが、
当初は外部の人間を迎え入れました。そのプロデューサーはエルトン・ジョンバンドの面子を
レコーディングにあてがい、実際に録音を行ったそうですがビリーがこれを気に入らず、結局は
ツアーメンバーで再レコーディングし、それが採用されました。
ジョージ・マーティンもプロデュースする条件としてセッションミュージシャンの起用を
打ち出したそうです。しかしビリーはラフではあるが勢いのある自身のバンドにこだわりマーティンへの
依頼を断念します。憧れのビートルズを育てたと言っても過言ではない人物との仕事はビリーも切望していた
はずです。しかしそれさえも上回るほど自身のバンドに強い執着がありました。これには最初の作品三枚での
セッションミュージシャンの起用が、彼らのサウンドが洗練され過ぎておりビリーとしては実の所好みでは
なかったという経緯があります。この辺りからもビリーのロックンローラーとしての気概が伺えます。
それにしてもR&Rの洗礼を与えてくれた人物によって、(あくまでビリーとしては)ロックっぽさが
取り除かれようとしてしまったというのは皮肉な話しです。
上はオープニング曲である「Movin’ Out」のライヴヴァージョン。前回でも触れたイギリスの有名な
音楽TVショー「Old Grey Whistle Test」の模様です。ちなみに ” Old Grey Whistle Test ” とは?
” Old Grey ” はホテルのドアマンやポーターを指すそうで、ロンドンにおいて音楽関係の会社が
ひしめき合っている地域では、新しくリリースしようと思った曲を彼らに何度か聴かせ、それを口笛で
吹けるかどうかを試すというリサーチをしたとの事。彼らがすぐに吹ければ、そのメロディは覚えやすい、
つまりキャッチーで皆が親しみやすいものであり、ヒットする可能性が高いという訳です。

アルバム「The Stranger」がR&R色の強いものだとは決して言えませんけれども、ビリーが求めたのは
表面的な音楽性よりも、もっとスピリット的なものだったのでしょう。
フィル・ラモーンも当時において既にベテランプロデューサーでしたが、マーティンよりは
下の世代であり、ビリーの考えに同意できる部分が多かったのではないでしょうか。
B-①の「Vienna」は初期にあった内省的シンガーソングライター風のナンバー。
やはりエルトン・ジョンの雰囲気が漂っている様に感じるのは私だけ?

ラモーンがビリーの言い分を無条件で通した訳では無い事は「Just the Way You Are」の回で
既述した通りです。ラモーンが良いと思ったものは押し通し、それが結果的に本アルバムを傑作へと
導いたのです。ビリー一人では成し得なかったというのも前回で述べた事。
しかしながらビリーとジョージ・マーティンの共同作業も聴いてみたかった、という思いもありますが・・・
上はラテンフレーバーの「Get It Right the First Time」。アルバム中に少なくとも一曲は
ラテンタッチの楽曲を入れるのがビリーのモットーだったようです。ノリノリの歌いっぷりが見事。

アルバムラストを飾る「Everybody Has a Dream」。ソウル・ゴスペルといった黒人音楽への
リスペクトもビリーの中にはしっかりあります。というか、前にも書きましたけど白と黒、米と欧などの
区別はこの人にはあまりなく、良ければ何でもイイ、というポジティヴな無節操が感じられます。

「Just the Way You Are」のシングルヒットと共に本アルバムも爆発的な売れ行きを記録します。
リリースから3か月後の77年12月にはゴールド、翌年1月にはプラチナに認定されるという、そのセールスは
驚異的なスピードを見せます。ちなみに03年にはダイアモンドを獲得、すなわち全米にて1000万枚以上の
売上を達成したと認定されました。ベスト盤を除くとビリーの作品中最も売れたアルバムです。

「Just the Way You Are」及び本アルバムからビリーの超絶ブレイクが始まる訳ですが、
それはまた次回以降にて。

#185 Just the Way You Are_3

BS-TBSで放送されている「SONG TO SOUL」にて「Just the Way You Are」が
取り上げられていました。もう十数年前のことですが・・・
内容はうろ覚えですが、プロデューサーであるフィル・ラモーンが出演し、その制作過程について
語っていた記憶があります。

覚えているのがドラムトラックについて。始めは普通の16ビート、口で言うと、
チチチチチチチ・チチチチチチチ といったリズムだったのですが、
たしかラモーンの提案により普通じゃない、アクセントをずらしたラテンフィールになったという
コメントがありました。これも口で言うと
チチチチチチチ・チチチチチデン という、我々が本曲で耳にしているドラミングです。
ラテンと言ってもそんなにリズミックなものではなく、ほんの少しアクセントがずれただけ、
4拍目のスネアが一つ前の3拍目最後の16分に移動し、4拍目裏にタムタムが鳴る事で
あの独特のグルーヴを醸し出しています。何てことのない差異に思えますが、
普通の16ビート(2・4拍にスネアがあるやつ)ではだいぶ違った印象であったでしょう。
前回までに述べた本曲を決定している要素、メロディ・歌・エレピ・声のウォールオブサウンド、
そしてフィル・ウッズによるサックスの名演といったものほどではありませんが、
目立たないけれども工夫されたアレンジの一つです。

本曲にもカヴァーヴァージョンが数多く存在しますが、「New York State of Mind」のように
スタンダードナンバーとなるほど様々なヴァリエーションは無いと言えます。
名曲が必ずしもスタンダードになるとは限りません。私見ですが、本曲には先述した通り多くの要素が
詰め込まれており、しかしながらそれらは過剰なアレンジとして嫌味に聴こえる事がなく、
すべてが調和され本曲として完成されているからではないでしょうか。
キーボードもしくはギター一本で歌っても取りあえずは良いものに仕上がります、素材が極上ですから。
しかし、自分なりの解釈で本曲を料理しようとすると、これが大変な難曲だと気づかされるのでしょう。
あまりに完成され過ぎている事、それによってどうしても原曲の呪縛に縛られてしまう、
といった要因が難壁として立ちはだかり、それに挑むのがあまりにもハードなのです。
そのカヴァーにおいて私が白眉と思うのがこれ。バリー・ホワイトが翌78年にリリースしたもの。
仮にミュージシャンないしはアレンジャーが本曲のメロディを与えられたとしたならば、
ピアノでシンプルに弾き語りで演るか、あるいはバリーの様なアレンジになるのではないでしょうか。
私以上の世代(50歳~)ならキャセイパシフィック航空のテレビCMで一度は耳にしたことがある
「愛のテーマ」でおなじみのバリー・ホワイト。ゴージャスなアレンジに彩られたそのバリーによる
ソウルミュージックマジックによって(彼の歌声も含めて)、ひょっとしたらこういうヴァージョンも
あったかも? という我々の思いを満たしてくれます。

本曲の大ヒットによってその後ビリーが破竹の勢いでスターダムを駆け上がるのは周知の事実です。
全米3位・全英19位、翌78年にはゴールドディスクを獲得し(余談ですが、40年後の18年に
プラチナに認定されています。四十周年記念盤でも出たのでしょうか?)、79年のグラミー賞では
最優秀レコード賞及び最優秀楽曲賞を受賞しました。

この曲も一回では終わらず結局三回に渡ってしまいました。名曲が必ずしも時間をかけて録られるとは
限りませんが(ファーストテイクであっという間に終わったというのもあります)、
10ccの「I’m Not in Love」同様に、よく練り込まれたポップミュージックとはその裏に
クリエイター達の頭が下がるような努力が込められているものなのです。
三回で折に触れ述べてきたように、本曲はビリー一人では完成し得なかったものです(何しろ
最初はボツにしようとしたほど、というのは先述の通り)。フィル・ラモーンとのタッグによって
結晶化された珠玉の名曲であり、この二人のタッグはその後も続き、ビリーを最も成功した
ミュージシャンの一人へと伸し上げる事となります。

最後にライヴの模様を。ビリーによる本曲のライヴ動画は数多く上がっていますがその中から二つ。
一つ目は鉄板のやつ。昔からよく観る事が出来た映像ですが、77年というだけで詳しい情報が
ありません。オフィシャルビデオと銘打っていますが、おそらくTVショーの模様でそれを
プロモーション用に使ったのではないでしょうか。想像ですがヒットする直前であり、
であるのでサックス奏者も原曲に縛られず自由なプレイをしているのでは?
ちなみに翌78年にイギリスの有名な音楽TVショー「Old Grey Whistle Test」に出演した際の
動画も上がっていますが、そちらではほぼ原曲通りのサックスソロです。
二つ目は82年12月、故郷ロングアイランドで行われたコンサートから。78年と比べて王者の余裕の様な
ものが感じられます。動画説明には ” In 1983 ” とありますが、映像がVHS及びLDで
パッケージ化されたのが翌83年なのでそれと混同したのでしょう。
(細かいですね・・・興味の無い人からすれば ” しらんがな!!” と言われて終わりですね ……… )

#184 Just the Way You Are_2

その曲をその曲たらしめている要素とは何か? 一概には語る事が難しい命題ですが、
万国共通で言えるのはその旋律、つまりメロディでしょう。もっと具体的に言えば
テーマ・サビと称される最も ” イイところ ” のメロディという事になります。
音楽、特にポップミュージックを構成する要素は70年代には複雑さを極めました。
その後の80年代以降の方がシンプルになっていき、00年代以降などは良く言えば虚飾を
排した、率直に言えば余計なアレンジやレコーディングテクニックは疎まれるような雰囲気に
なっていったようです。ラップ・ヒップポップ等の台頭に因るものでしょうか。

音楽の基本構成要素はメロディ・和音(ハーモニーとする場合も。いずれにしろ復音)・リズムである。
と、その昔にものの本で読んだ記憶があります。勿論これは揺らぎようのない事実であり、
私もそれを
否定する気は毛頭ありません。
上でも述べたように人が音楽を聴くときに最も注意を惹かれるのは主旋律です。ポップソング、
流行歌、大衆音楽では特に歌い手の(インストゥルメンタルは敬遠されます)、歌唱が最優先です。
器楽演奏者・アレンジャー・レコーディングエンジニアがどれだけ丹精込めて創り上げたものでも、
歌が好きじゃないから聴かねえ! とか言われてしまいになる事が多々あります(トホホ・・・)。
それでも稀にメインの歌以外の要素が多くの人々の心をわしづかみにするといったレアなケースも
存在します。
例えばロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」の冒頭にて聴くことが出来る
” ドン ドドン タッ・ドン ドドン タッ ” というあの問答無用のドラミング。
技術的には何てことないプレイですが、ハル・ブレインのあの音色、あのグルーヴがあってこその
ものです。暴論を承知で言いますが、「ビー・マイ・ベイビー」を決定づけている35%くらいは
ハル・ブレインのドラムなのではないかと私は思っています。

だいぶ前置きが長くなりましたが、「Just the Way You Are」を名曲たらしめている要素とは。
メロディ、ビリーの歌唱、テープループによる声のウォールオブサウンドなど幾つも挙げられますが、
構成要素の一つとして疑いようのないものが間奏及びエンディングにおけるサックスプレイです。
アルトサックス奏者 フィル・ウッズによる完璧としか言いようがない本プレイ。世の中には、
この歌・この演奏以外考えられない、と言われるものは結構ありますが、中には最初に聴いたのが
それなので所謂 ” 刷り込み ” では? と思われるものも個人的にはあります。
スターダストレビューの根本要さんがビリーの来日公演(70年代後半から80年位の)を観に行った際、
ツアーバンドでのサックス奏者はフィル・ウッズではありませんでしたが、原曲と寸分違わぬ
プレイを行っていたと以前に語っていました。
つまり崩しようがない・オリジナリティを加えようがない程にあの演奏のイメージが強すぎて
同じプレイをせざるを得なかった、あるいはそれを主催者ないし聴く側がそれを望んだから、
といったところだったのではないでしょうか。
現在ユーチューブで観る事が出来るライヴの模様では必ずしもそうではありませんので、
年月を経てようやく本プレイの ” 呪縛 ” から逃れる事ができるようになったのでは?
と推察したりします。

本曲が収録されたアルバム「ストレンジャー」ではN.Y.における所謂 ” ファーストコール ” の
セッションマンが多数集結しています。前回も触れたキーボード リチャード・ティー、ギターに
スティーブ・カーンとハイラム・ブロック他、パーカッション ラルフ・マクドナルド、そして
コーラス隊には前回でも触れたフィービ・スノウやパティ・オースティンといった超強者ばかり。
ビリーもニューヨークっ子ですが、以前に述べたようにソロキャリアの初期はL.A. におけるもので
あったので、N.Y. に戻ってきた当初は人脈・コネなど無かったでしょう。
これは間違いなくプロデューサー フィル・ラモーンの功績です。
フィル・ウッズもその中の一人かと思っていましたが、ラモーンが13年に亡くなった際に
ネットの記事にてウッズとジュリアード音楽院において同級生だったと初めて知りました。
ウッズの起用にはこの様な背景があったのです(同じフィル(フィリップ)同士で親しくなったのかな?
とか安直な推察もしたりします)。
更に言えば70年代からはロック・ポップス畑で台頭しましたが、60年代はジャズ界での仕事がメインで、
あの世界的ボサノヴァブームを巻き起こした「ゲッツ/ジルベルト」にてエンジニアとして参加しています。

前回述べた本曲におけるラモーンの三つ目の功績とはウッズの起用、そしてこの稀代の名演を取り入れた
事だと私は思っています。根拠は定かではありませんがラモーンはウッズのプレイの中から切り貼りして
あのヴァージョンを創り上げたとされています。自身もヴァイオリンの神童として名をはせたラモーンで
あったので、プレイヤーとして、そしてプロデューサー・エンジニアとしての両輪が盤石であったからこそ
出来た仕事でしょう。

少し横道に逸れますがフィル・ウッズつながりで。「New York State of Mind」回(#182)で
触れるのを忘れてしまいましたが、初出と85年の二枚組ベスト盤ではサックスが異なります。
つまり85年ベスト盤にてサックスが差し替えられたという事ですが、それがフィル・ウッズだと
言われています。ただこれも根拠は定かではありません。
歌のメロディをなぞったソロを展開する初出版に対して、85年版はかなり自由なプレイです。
聴き比べるのもご一興。

#183 Just the Way You Are

10ccの「I’m Not in Love」が実は一度ボツにされた、といういきさつは#170で書きました。
ポップミュージック史に残る名曲が、下手をすれば陽の目を見ていなかったというのは驚きです。
そしてまた、ある名曲も最初は創った当人が世に出すつもりではなかったというのも、
まるでドラマの様な話です。
その名曲と「I’m Not in Love」との関係性も#174にて触れています。

” 僕を喜ばせようとして、新しいファッションや髪の色をかえたりしないで、そのままの君が好きなんだ ”
普通の状況で言ったらアタマがどうかしたのか?と疑われる様な言葉も、この稀代の名曲に乗せると
何ら違和感が無くなるから不思議です。勿論その曲とはビリー・ジョエル「Just the Way You Are」。

ビリーは本曲のインスピレーションを夢の中で得たと語っています。最初の妻でありマネージャーでもある
エリザベスの為に書いたもので、売り物にする曲というよりはプライベートで書いた曲という感じでした。
実際ビリーもバンドも本曲を次作である「ストレンジャー」へ収録するつもりはなかったとの事。
しかしたまたま同建物の別スタジオで作業していたフィービ・スノウとリンダ・ロンシュタットが
ビリーが演奏していた本曲を聴き、アルバムに入れるべきだ!と訴えたそうです。
彼女達が聴いたのはおそらくスタジオで、ラフな感じの弾き語りであったろうと推測されます。
であるからして当然我々が知っているものとは違っていた事は言わずもがなです。
本曲を名曲たらしめている要素は幾つもあるのですが、この時点で既に出来ていたであろう根本的な
メロディとコードプログレッションが素晴らしいことは言うまでもありません。
であるかして、フィービとリンダはその素晴らしさに惹きつけられたのです。

本曲はシングルカットされる際に一分以上短くされています。原曲の4分47秒というのはやはり
シングルとしては長すぎると判断されたのでしょう。ラジオでオンエアされ易いのは3分台という
呪縛はこの時代でもまだまだ健在でした。上がそのシングルヴァージョンで、二番がまるっとカットされ、
フェードアウトも早くなってしまっています。

本曲及びアルバム「ストレンジャー」を語る上で欠かせない存在がプロデューサー フィル・ラモーンです。
彼が起用されるに至ったいきさつは別の機会で述べますが、75年にポール・サイモンの作品でグラミー賞を
獲得しており、プロデューサーとして世間の注目を浴び始めたところでした。
ラモーンが本曲で果たした重要な役割は三つあります。二つは曲創りに直接つながる事において、
もう一つは制作に関わる事ではありませんが、本曲を ” 生かす ” のにある意味最も大事な事柄でした。

一つ目ははじめに触れた「I’m Not in Love」によってインスパイアされたサウンド創り。
バックで流れるヴォーカルのテープループは「I’m Not in Love」に触発されたもので、
それはビリーのアイデア及び要求だったのでしょうが、具現化したのはラモーンの力量です。
今でこそ声を重ねまくってあのサウンドを創ったというのは皆が知るところですが、
当時は情報も少なくメロトロンでは?などと憶測が飛び交っていた状況だったので、
ヴォーカルのダビングとそれをルーピングする事によってあの音が得られるという事実を見抜いたのは、
百戦錬磨のエンジニアであったラモーンの力によるものでしょう。
「I’m Not in Love」から触発されたのはエレクトリックピアノのサウンドも同様です。
フェンダーローズによる独特の浮遊感がどちらの曲にとっても素晴らしい効果を挙げています。
このプレイがリチャード・ティーによるものだという記述がいくつか見られますが、クレジット上では
アルバム最後の曲「Everybody Has a Dream」でオルガンを弾いているのみとなっており、
本曲でのローズピアノはビリー本人とクレジットされています。でもティーのプレイに聴こえなくも …

二つ目はこれも冒頭で触れた、世に出ていなかったかもしれない本曲をお蔵入りにさせなかった事。
ある意味これが最も大きな功績かもしれません(失礼な!音楽面の貢献もハンパじゃねえよ!!)。
ビリーは他の収録曲と比べて場違いな、甘ったるいバラードだとして本曲をアルバムから外そうと
していましたが、ラモーンはこれに同意しませんでした。先述したフィービ・スノウと
リンダ・ロンシュタットがスタジオに来て、これを却下しようとしていたビリーを窘めた件。
実は彼女たちをスタジオへ招き入れたのはラモーンであり、プロシンガーであり当然耳の肥えた
彼女たちであれば、本曲の価値をビリーへわからせる事が出来るはず、という目論見があったのです。
それは見事に成功し、彼女たちの本曲へ対する賞賛がビリーの考えを変えさせるに至ったのです。

三つ目は・・・・・・・・・・・・・・ これは次回にて。

#182 New York State of Mind

ビリー・ジョエル76年発表のアルバム「Turnstiles」について書いてきましたが、
お分かりの人には ” あの曲がヌケてねえか? ” と気づかれたかと思います。
読んでる人が ” い・れ・ば ” な・・・・・ (´∇`)

ビリーにとって、ひいてはポピュラーミュージック界において非常に重要な、
もっと具体的に言えばスタンダードナンバーと化した名曲が収録されています。
それが「New York State of Mind」です。
リズムこそはポップス的16ビートですが、曲調はジャズテイスト溢れるもので、
シナトラが歌っていても違和感が無い、というより実際に取り上げています。
今回は数えきれない程のミュージシャンにカヴァーされている本曲のみに焦点を当てます。

シナトラも歌っていましたがジャズ界ではこの人が最も良く知られる所。シナトラ同様の
大御所 メル・トーメです。彼は77年の「Tormé: A New Album」で本曲をレコーディングし、
それ以来好んでレパートリーとしていた様です。ちなみに69年以来アルバムをリリースしていなかった
トーメが久しぶりに録音したのが本作であり、表舞台へ返り咲いた作品です。

シナトラ、メル・トーメとくれば残る男性ジャズシンガーの大御所であるトニー・ベネット。
彼も本曲を歌っています。上は16年にマディソン・スクエア・ガーデンで行われたビリーの
コンサートへトニーがゲスト出演した際の映像。この二週間後に90歳の誕生日を迎えるトニーの為に
ビリーが「ハッピー・バースデー」を歌ったというオマケ付き。

ビリーは本曲について、歌詞の中にある ” taking a Greyhound On the Hudson River Line ” という
状況でインスピレーションを受けたそうです。Greyhound とはバス会社の事で、つまりバスに乗って
ハドソン川沿いを進んでいる時に浮かんだとの事。家路に着いてから直ぐに本曲を書き上げたそうです。

インストゥルメンタルでも当然山の様にカヴァーされています。上はアルトサックス奏者
エリック・マリエンサル「
Got You Covered」(05年)に収録されたヴァージョン。

女性シンガーのヴァージョンも素晴らしいものが沢山あります。バーブラ・ストライサンド版が有名ですが、
個人的にはあまりピンときません(あくまで本曲に限ってですよ … )。
上はオリータ・アダムス「Evolution」(93年)に収録されたヴァージョン。歌唱・演奏・アレンジともに
文句の付け様が無く、本物の音楽とはこういうのを言うのではないかと思います。
ちなみに素晴らしいストラトキャスターでのプレイ・サウンドを聴かせてくれるのはマイケル・ランドウ。
スティーヴ・ルカサーの後輩であり、そのルカサーも認める世界屈指のセッションギタリストです。

盲目のシンガー ダイアン・シューアによる「Deedles」(84年)における本曲も秀逸です。
GRPレーベルからリリースされた本作は、80年代のジャズ・ブラックコンテンポラリーの
雰囲気がプンプン匂ってきます(良い意味でですよ)。プロデューサーは当然GRP創設者である
デイヴ・グルーシンで、テナーサックスはなんとスタン・ゲッツ。贅沢が許される時代でした。

音だけ聴けば米国のジャズフュージョン・AORにカテゴライズされるミュージシャンかと
信じて疑いませんが、実は英国人であるジョン・マークとジョニー・アーモンドから成る
マーク=アーモンドが76年に発表した「To The Heart」に収録されたもの。
この二人はなんとエリック・クラプトンが在籍した事でも有名なジョン・メイオールの
バンドで知り合った事がキッカケだそうです。

永いこと本曲を聴いてきましたが、その歌詞についてはあまり真剣に考えてきませんでした。
マイアミビーチやハリウッドという単語は聴きとれるので、ウェストコーストとN.Y. を
対比させているんだろうな、くらいでした。
” I’m in a New York state of mind ” というフレーズからして自分はN.Y. の人間だ、
という趣旨なのが間違いない事は明らかなのですが、それがN.Y. に居るシチュエーションなのか、
L.A. なのか、よくわかりませんでした。” Greyhound ” がバス会社だというのは今回初めて
知ったので、” I’m just taking a Greyhound on the Hudson River Line ” が
上記の様な意味だとは思わなかったのです(昔は調べようがなかったし、その気もなかったし・・・)。

英語に『都落ち』という概念があるかどうか知りませんが、「ピアノマン」のヒットこそあったものの、
その後自身の望む結果とは相成らず、故郷に舞い戻って書いたのが本曲、といった所でしょうか。
L.A. が決して悪いばかりの所だとは思わないけれど、やはり自分にはN.Y. の水が合っている。的な …
ちなみN.Y. もL.A. も都なので、どちらに転んでも ” 落ちる ” という事にはならない気がしますが・・・

https://youtu.be/Smxc0Haz5ns
最後は面白い動画を(笑えるという意味ではなく)。何かにつけて比較されてきたエルトン・ジョンと
文字通り顔と顔を合わせてジョイントする事となった” FACE TO FACE ” ツアーの初年である
94年におけるエルトンによる演奏。音も映像も決して良くありませんが、これは貴重なもの。
とにかくこの人は何を演ってもエルトン印にしてしまう、それはずるいほどに・・・・・・・・・・

#181 Turnstiles

ビリー・ジョエル4thアルバム「Turnstiles」についてその2。
上はA-②「Summer, Highland Falls(夏、ハイランドフォールズにて)」ですが、
今回調べていて初めて知った事ですけれども、淡々として爽やかささえも感じられる本曲は、
実の所かなり深刻な歌詞でした。
ビリーが若い頃から鬱病を患っていたのは以前に書きましたが、本曲の歌詞にはそれが
色濃く反映されている様で、理性と狂気、断崖絶壁に立つ状況というのは悲劇か?
それとも刹那の幸福か?という様なかなりめんどくさい … 思慮深い内容です。

A-③である「All You Wanna Do Is Dance」はスカのリズムを取り入れたナンバー。
初期からラテンを含めたワールドミュージックへ視点が向いていた事は既述です。

「James」は1stを思わせる内省的な曲調。音楽性は簡単に変わらないというのも既述。

のっけからそのピアノテクニックに圧倒される「Prelude/Angry Young Man」。
前作における「Root Beer Rag」と同様にプレイヤーとしてのビリーをフィーチャーした
楽曲ですが、「Root Beer Rag」は楽曲ストックの少なさから苦肉の策で収録したと
言われていますが、本曲はイントロ後の本編と呼べる 
” Angry Young Man ” への
移行も見事であり、きちんと練り込まれたナンバーです。

エンディングナンバーである「Miami 2017」には ” Seen the Lights Go Out on Broadway ” と
副題が付いています。81年のライヴ盤「Songs in the Attic」ではオープニングに収録されている本曲は、
その快活なロックチューンの印象とはかけ離れた歌詞(イントロのサイレン音が象徴的)。
アメリカが混乱に陥り、ブロードウェイの灯は消え、エンパイアステートビルは崩れ落ちて橋は朽ち、
人々はニューヨークを去って南へ行ってしまうという近未来ディストピアSFといった内容。
2017年のマイアミで語り部はニューヨークを回想するというストーリーは、
9.11テロを予言しているとか一部オカルトマニアが騒いでいたらしいですが、
それはお好きな人で勝手にどうぞ(その2017年も既に過ぎてしまいましたが … )。

「ピアノマン」「さすらいのビリー・ザ・キッド」から始まって、彼には物語的歌詞を好む傾向が
あるようです。それはやがて名曲「イタリアン・レストランで」や「ザンジバル」、
そしてアルバム「ナイロン・カーテン」など
へ結実する事となります。

本作は大変に内容の充実した秀作であると私は思っています。「ストレンジャー」や「52番街」に
肩を並べるとまでは言いませんが、クオリティー的にそれほど劣っているとは考えられません。
しかしチャート的にはアルバムが最高位122位、「さよならハリウッド」等のシングルに至っては
チャート外という結果でした。良いものが必ずしも陽の目を見るとは限らないという典型です。

「Turnstiles」が改札口・出札口を意味するというのは前回述べましたが、アルバムジャケットが
もろにそのものですので今更触れる事ではありません、が、今回調べていて初めて判った事ですけれども、
ビリー以外の写っている人物は収録曲に登場する人物たちを表しているそうなのです。
誰がどの曲なのかはヒマな … もとい興味がある人は調べてみるのもご一興。