#34 A Whiter Shade of Pale

プロコル・ハルムというバンドの名を知らなくても、この曲に関しては「あっ!聴いたことある!」
という方がかなりおられるでしょう。それ程までにあまりにも有名な、今回のテーマである
「A Whiter Shade of Pale(青い影)」です。
その前進となるバンドは英国エセックス州にて59年に結成されましたので、かなり古くから
活動していたバンドです。業界では一目置かれていたそうですが、ヒットに恵まれず
67年にメンバーチェンジと共にバンド名をプロコル・ハルムとします。
中心メンバーであるゲイリー・ブルッカーのピアノと、改名時に加入したマシュー・フィッシャーの
オルガンをフィーチャーした音作りが初期の特徴であり、ブルース、R&B、そしてクラシックの
エッセンスを取り入れた音楽性が当時としてはかなり斬新でした。

「青い影」はバッハの「G線上のアリア」をモチーフに作られたと言われています(所説ありますが)。
私は不勉強でクラシックに全く疎いのですが、この曲を聴くとクラシック音楽というものが如何に
根本的に美しい、完成されたものであるのかと改めて関心させられます。例えが相応しいかどうか
分かりませんが、姿形・造形が元から美しいものには敵わない、そうでないものがどんなに
着飾ったり、化粧を施したりしても美しさにおいて及ばない、根源的な美にはどう足掻いても
勝てないような無力感の様なものを感じるのです。無論この場合は根源的な美を有するのがクラシック、
そうでないのがポピュラーミュージックということになりますが・・・
しかし下町には下町なりの良さが、山の手にはないものがあるのも事実です。庶民大衆の音楽には
粗野ではあるが上流階級のそれにはないパワー・グルーヴがあるのです(別に庶民がクラシック聴いちゃ
悪いわけでもないし、上流階級の方々でもロックを好む人も勿論いるでしょうが・・・)

 

 

 


日本のミュージシャンにも大変強い影響を与えました。その筆頭は何と言ってもユーミンでしょう。
本曲を聴いて大変感銘を受け音楽の道を志した、という話は結構有名なところです。

1stアルバム「ひこうき雲」(73年)からその影響は顕著ですが、極め付けは「翳りゆく部屋」(76年)。
そのモチーフは2nd収録の「Magdalene」とも、3rdの「Pilgrim’s Progress」とも、
意見が
分かれるところですが、日本のロック・ポップスにおいて、これほどまでに絶望的かつ、
荘厳な美しさに溢れた
楽曲を私は他に知りません。
また山下達郎さんも、本曲をマーヴィン・ゲイの「what’s going on」等と並んで、
「僕が人生において最も感銘を受けた曲の一つ」と公言しています。

本曲や2ndシングル「Homburg」の印象が強すぎて、クラシック的で荘厳な美しいポップスを
演奏するバンド。というイメージが一般には定着してしまったきらいがあります(実は私も
昔はそうでした…)。ところが、非常にブルース色の強い一面も持っており、現在発売されている
1stアルバムのボーナストラックとして収録されているライヴ音源にそれが顕著です。
演奏技術的にもかなり高いレベルを有しており、ゲイリーやマシューがブルースフィーリングに
溢れたテクニカルな即興演奏を聴かせ、「青い影」とは違う一面が垣間見えます。
ギターのロビン・トロワーは当時、ジミ・ヘンドリックスのエピゴーネン達において最右翼と
されていたギタリストでした。私個人的にはジミヘンというより、フレディ・キングや
バディ・ガイといった、黒人エレクトリックブルースの中でも特にアグレッシヴなプレイを
する人達を目指したプレイヤー、という感想を抱きますが、それはつまりジミヘンやクラプトン、
後のS・レイヴォーンなどと同系譜、という事になるのでしょう。
またドラムのB.J.ウィルソンは、ジミー・ペイジがレッド・ツェッペリンへ加入させようと
目論んだことがある程のプレイヤーであり、非常に高いテクニックを有するドラマーでした。

彼らも成功したバンドとして御多分にもれず、度重なるメンバーチェンジ、解散そして再結成という
お決まりのコースを辿ってきましたが、ゲイリーを中心として今でもその活動を続けています。
12年にはユーミンと日本にてジョイントライヴを行い話題となりました。

「青い影」があまりにも有名なために、バンドとしてその実像が誤解されてしまっているのは
先に述べた通りですが、やはり先述の非常に卓越したブルースバンドとしての側面、また
後のプログレシーンにも影響を与えた、プログレッシヴロックの元祖と評価する向きもあり、
多様な音楽性を有していることを今一度再確認するべきではないでしょうか。

などと言いながら、「青い影」がポピュラーミュージック史に燦然と輝く名曲であることは
揺るがない事実であり、この曲をきっかけとして、彼らの素晴らしい音楽に少しでも多くの人が
触れてくれることを望んで止みません。

#33 L.A. Woman

69年3月のマイアミ事件の後、バンドはステージから遠ざかることとなります。その期間が
彼らに(特にモリソン)どのような変化を与えたのかは分かりませんが、事件後に発表した
5thアルバム「Morrison Hotel」はブルース色を強めたものとなりました。
初期の異国的・ジャズ的な、当時のロックとしては耳新しかった音楽性を好んでいたリスナーには
戸惑いがあったようです。しかし前回の記事で述べましたが、レコードデビュー前、モリソンの
書く曲の殆どは3コードの楽曲だったということから鑑みて、これは原点回帰と言えるのでは。
モリソン生存中、最後のオリジナルアルバムとなった「L.A. Woman」は前作同様、いやむしろ
更に無骨でタイトなR&R、ブルースを演っています。時折サイケ色が垣間見え、”ドアーズらしさ”が
伺えますが、果たしてどちらが本当のドアーズなのか、ちょっとわからなくなります。
このバンドはやはり、初期の、特に1st・2ndの(当時としては)斬新な音楽性と、モリソンの
カリスマ性に魅せられたファンが圧倒的に多いと思いますが、後期の地味ではあるが無骨なブルースを
歌うモリソンを好む人も決して少なくありません。今回のテーマである「L.A. Woman」を
後期の傑作と捉えるファンも大勢いるのです。
またドアーズはやはりライヴにおいてその本領が発揮されるバンドであったので、ライヴ盤を抜きに
語ることは出来ません。鉄板としては二枚のライヴアルバム(とは言ってもブートレグは別にして、
そんなにオフィシャルなライヴ盤が数多く出てる訳ではないです)「Absolutely Live」(70年)と
死後かなり経てからリリースされた「Alive, She Cried」(83年)があり、じっくり聴きたい人は前者、
取りあえず彼らの勢いのある”ライヴ感”を味わいたいなら後者(時間も短い)をお勧めします。

 

 

 


モリソンはお世辞にも美声とは言えず、また歌唱技術が特に優れている訳でもありませんでした。
では何故皆こんなにも彼の歌声に魅かれるのでしょうか?これはもう”カリスマ性”という以外には
言いようがありません。勿論他のメンバーの音楽性・演奏技術や、ステージパフォーマンス、そして
プレス向けの過激な発言など、全てが混然一体となっての「ドアーズ」であったのでしょうが、
やはりモリソンのパーソナリティに因っていたのは事実でしょう。しかし、モリソン本来の
音楽性であるブルースを強く打ち出した「Morrison Hotel」「L.A. Woman」の様な作品にて
デビューしていたとしたら、あれほどの成功を収めていたかどうかはこれまた疑問です。
ドアーズというバンドはかなりの幸運な巡りあわせ、タイミングの良さ、エレクトラレコードのやり手
プロデューサー ポール・A・ロスチャイルドに見いだされた等の周囲に恵まれた事など、
時代の波に乗れた、また幸運の女神に微笑まれた、というラッキーな面があります。もっとも
逆の見方をすれば時代が彼らを生み出した、ドアーズ、モリソンの様な存在を求め、それが
具現化されたという見方も出来ます。これはオカルト的な意味合いではなく、社会学的な意味合いで。
大衆が求めた時、そういうカリスマの様な存在が現れる、といった様な。ただ私はそういう方面に
全く疎いのでその辺りについてこれ以上は言及しません。
しかし人間の”人生の質量”のようなものは平等なのか、(太く短くor
細く長く、ってやつです)
モリソンは成功したロックミュージシャンに少なからず訪れる運命から逃れることは出来ませんでした。
71年7月3日、恋人を伴った休暇先のパリで亡くなります、享年27歳。ヘロインの過剰摂取が
原因とされています。
この27歳という年齢がロックミュージシャンにとって何か意味を持っているかのような言われ方が
される時がありますが、私は全く意味の無い、たまたま同時期に成功した、同年代のミュージシャンが、
自己管理が出来なかった結果、近い時期に、同じ年齢で急逝したという事実があるだけだと思っています。
それは後からの、特にロックなどの音楽をネタにする売文家の方達による影響だと思います。
しかし夭折の天才が伝説化されるのは古今東西の常であり、不遜を
承知で言うと、だからこそ(レコード
デビューから数えれば)4年間という短かすぎるモリソン在籍時のドアーズが輝いて見えるのも事実です。

モリソン亡き後、バンドは2枚のアルバムをリリースしますが、以前の様なヒットには至らず、
その後解散。
91年には映画『ドアーズ』が制作されました。内容については賛否両論あるそうです。
特にマンザレクは映画でのモリソンの描かれ方にかなりの憤りを覚えたと言われています。

死とエロスを歌ったシンガー・詩人として、現在でも圧倒的なカリスマとして崇められるモリソンですが、
先述しました通り、一介のブルースロックバンドとしてデビューしていたとしたら、あれ程の成功は
成し得なかったように思います。やはりマンザレク達との幸運な出会いが大きかったでしょう。
しかしやはりモリソン自身のパーソナリティが注目を集めた故の圧倒的な成功、という事実も
間違いないと思われます。ドアーズという存在は、一人のカリスマ、優れたサイドマンとマネージメント、
そして時代の波に見事にマッチした(時代の流れを”創った”とも言える)、混沌とした時代に咲いた
耽美かつあまりにも絶望的な花のような存在だったのではないかと思います。

2回に渡ってドアーズを取り上げました。実はかなり久しぶりに聴いたのですが、改めてモリソンの
歌の”表現力”の様なものを再確認させられました。テクニックは必要ない、などとは決して思いません。
しかし音楽というものはそれだけではない、ということを気づかせてくれます。これは
インストゥルメンタルでも同じ事が言えるでしょう。
良かったらこれを機に、彼らの素晴らしい音楽、音楽以外の”表現”を含めた功績に触れてみて
ください(ドラッグとか✖✖✖の露出とかはダメですよ、捕まります………)。
これにてドアーズ編は終了です。次は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

#32 Light My Fire

前回より、60年代後半から興ったサイケデリックロックをはじめとして、ロック史において
エポックメイキングとなったミュージシャンを取り上げていくこととなりました。
第二弾はアメリカのロックバンド ドアーズです。・・・ベタですね、もうちょっとヒネリの
効いたセレクションの方が良いかとも思いましたが、奇をてらえばイイというものでもないと
考え、割と直球ど真ん中から選んでみました。

ドアーズは65年、ロサンゼルスにて結成されました。ごく初期にはメンバーチェンジが行われた
ようですが、一般に認知されているオリジナルメンバーとしてはジム・モリソン(vo)、
レイ・マンザレク(key)、
ロビー・クリーガー(g)、ジョン・デンスモア(ds)です
このバンドが語られる際、まずジム・モリソンが書く文学的・誌的な歌詞がよく取り上げられる
ところですが、モリソンの歌詞については、それについてディープな考察をしているサイトが
幾らでもありますので興味のある方はそちらをご覧ください。
バンドの特色としてはその歌詞を除けば、オルガン・エレピを中心とした独特のサウンド、
モリソンの際立ったステージパフォーマンス(多分にセクシャルな意味での)が挙げられます。

今回のテーマであるところのあまりにも有名な「Light My Fire(ハートに火をつけて)」は
1stアルバム「The Doors」からの2ndシングル。ホセ・フェリシアーノのカバーをはじめ、
多数のミュージシャンに演奏され、歌われ続けている曲。もはやスタンダードナンバーと呼んでも
差支えないと私は思っています。
本曲はロビー・クリーガーが初めて作曲した曲とのこと。初めての創作曲が全米NO.1ヒットとは
なんとも凄い事です。なんでも、レコードデビュー前はモリソンが殆どの曲を作っていたそうですが、
モリソンに「お前も作れ!」と言われて書いた曲だそうです。もっともモリソンが作る曲は大抵
3コードの曲だったらしく、モリソンとの差別化を図るためにも使うコードも俄然多くしたとのこと。
もともとはスパニッシュ(フラメンコ)ギタリストだったこともあって、普通のR&Rにありがちな
楽曲作りは自然と避けられたのかもしれません。勿論マンザレクの助力もあっての事です。

 

 

 


その後も2nd・3rdアルバムと立て続けに大ヒットを記録し、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
しかしモリソンのエキセントリックな言動やパフォーマンスも”勢い知らず”で、有名な話ですが
あるTVショーにて、本来の歌詞はテレビでは不適切なのでその箇所だけ変えて歌うという
示し合わせを”見事に”裏切ってそのまま歌って司会者を激怒させました。さらにこれまた
よく知られたエピソードですが、69年3月マイアミでのコンサートにて、あろうことかステージで
性器を露出し逮捕されます。
音楽外においても話題に事欠かなかったモリソンでしたが、デビュー前の彼を知る人のコメントでは、
本来は文学や映画を好む物静かな青年だった、という意外な一面も語られています。どちらが
本当のモリソンなのか、それともいずれの側面も生来のものなのか、しかしいずれにしても、
いきなりの成功が彼の人生に(良くも悪くも)急激な変化を及ぼしたことは間違いないでしょう。

やがて当時のロックミュージシャンにおけるお約束といっていい程の、ドラッグへの傾倒という道を
辿り(良い子のみんなは… しつこいな・・・)、音楽面でも徐々に変化が表れてきます。
その辺りはまた次回にて。

#31 Surrealistic Pillow

前回まで取り上げていたピンク・フロイド(デヴィッド・ギルモア含めて)は、後世では
プログレッシヴロックを代表するバンドとして扱われていますが、#25でも多少触れましたが、
デビュー当初はイギリスにおけるサイケデリックロックの流れの一翼を担う存在として認知されて
いたようです。そのサイケデリックロック、及びヒッピー・フラワームーヴメントというもの。
60年代半ばから興ったこのムーヴメントの経緯やその定義は、一冊本が書けてしまうほどなので
どうぞ各々各自でググってください。ここではロックミュージックだけに限って触れていきます。

その走りはバーズの「Eight Miles High(霧の8マイル)」、ビートルズの「リボルバー」など、
人によって意見は分かれるところです。そのサイケデリックロックの特徴と問われれば、
①綺麗なアンサンブル・音色の中に”歪んだ”音色(主にファズなどによるギター)をあえて
コントラストとして組み込みトリップ感を醸し出す→バーズ、ジェファーソンエアプレイン等
②サウンド・エフェクトなどによりトリップ感を表現する→ピンク・フロイド他
③即興演奏にて自然偶発的な酩酊感・高揚感を表現→グレイトフル・デッド、初期ソフト・マシーン

④歌詞においてドラッグのトリップ感覚や退廃的雰囲気を唄う→ドアーズなど
いずれにしろLSD等のドラッグを使用した時の酩酊感を表現しようとしたものが主でした。
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)...最近これ多いな・・・
勿論①~④や、それ以外の要素も色々混ぜ込んで、独自のスタイルを築いたバンドが雨後のタケノコの
ようにこの時期は出現しました。そしてあまり個人的に好んで聴くことはないのですが、これらが
行き過ぎて、稚拙な演奏技術と音楽的素養しか持たないミュージシャンが、フリージャズのような
高度な技術・音楽性が必要な演奏を、酒やドラッグの力を借りて、”既成概念を打ち破ったロック
ミュージックを演ろうぜ!”などと試みた者達
も少なからずいます(と、本人達が思っているだけ。
実際はタリラリランのラリパッパな連中が
聴くに堪えない演奏をしただけ・・・)。

 

 

 


そんなサイケロック黎明期にて音楽的・商業的共に成功したのは、ビートルズを除けばバーズと
ジェファーソン・エアプレインでしょう。どちらも初期はフォークロック的なテイストが多分にあり、
親しみやすく(それが商業的には良かったのでしょう)、この手のロックに馴染みがないリスナーでも
抵抗なく聴くことができます。また私も不勉強で決して詳しくはないのですが、特に本国アメリカに
おいては圧倒的人気を誇るグレイトフル・デッドも忘れてはなりません。
今回はその中でも、名盤として名高いジェファーソン・エアプレインの2ndアルバム
「Surrealistic Pillow(シュールリアリスティック・ピロー)」を中心に取り上げます。

シスコサウンド、ひいてはサイケロックの象徴的名盤と奉られることが多い本作。サイケロックに
ありがちな”カオス感”はまだ控えめで(ドラッグの匂いが強いのは「White rabbit」くらいでは
ないでしょうか)、全編に渡って美しい調べの中で、コーラスワークと若干歪んだギターによって、
ある種の浮遊感の様なものが漂っています。音楽的に似ているという訳ではありませんが、
私はこの感覚に、ビーチボーイズの「Pet Sounds」と同様のフィーリングを感じます。
本作から加入した女性シンガー グレイス・スリックのパーソナリティがかなりフィーチャー
されており、実際本作よりシングルヒットとなった「Somebody To Love」と「White rabbit」は、
彼女が直近に居たバンドの曲。その”パンチ”の効いた歌声と美貌(元はモデルらしい)が注目を浴び、
”シスコの歌姫”とまで称されたそうです。以下に張るのは結構目にすることのある当時の映像、多分
TVプログラム用のもの。この見目麗しき女の子(当時19~20歳)が、時を経てたくましいオバ…
大人の女性へと変容を遂げます(グレイスさん、ホントスイマセン・・・<(_ _)><(_ _)><(_ _)>)。

ウェストコーストで発生したこの波は、あっという間に世界中へ伝播(電波?)して、ロンドンでは
ピンク・フロイドやソフト・マシーンなどが、当時のロックミュージックのメッカ「UFOクラブ」にて、
英国流サイケロックを発展させます(勿論ビートルズも、それどころかR&Rとブルースに一途なはずの
ローリング・ストーンズでさえ影響を受けます。もっともストーンズは決して時代の影響を受けない訳では
ないです。ディスコやニューウェイヴが流行れば、それらをちゃんと取り入れたりしています)

日本ではクレイジー・キャッツのハナ肇さんが、ヒッピー風の格好をして”アッと驚く為五郎~”、と・・・

本作発表の67年頃を境に、ロックは”カオス化”を深めていきます。ドアーズ、ジャニス・ジョプリン、
ジミ・ヘンドリックス達の衝撃的なデビュー。イギリスでは、既に取り上げましたがクリーム、
レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾンなど革新的”過ぎる”ほどのバンドが出現します。
これを良いと捉えるか否かは人によって意見が分かれるところです。古き良きR&Rやポップスを好む
人達もこの当時でも当然大勢いました。現在はネット時代になって多様な情報が入手可能なので
良いのですが、私がリアルタイムで聴いていた80年代はそれが乏しく、一部の”ロック評論家・
ライター”と称される人達のメディアでの論評のみが幅を利かせ、それが60年代後半~70年代の
ロック史だと思い込まされた所があります。50’sの流れを組む様なロック・ポップス、ソフトロックと
カテゴライズされる音楽はあまり取り上げられず、ディープかつエポックメイキングとなった音楽
(言い換えれば彼らが文章にしたい・語りたい、もしくは、文章にし易い・語り易い事)が中心に
紹介されていました。分かり易い例を挙げれば、ビートルズとストーンズはよく取り上げられるが、
ビーチ・ボーイズはあまり取り上げられない。しかし当時のチャートアクションを見ると決して革新的な、
ディープなロックだけが聴かれていたかというと決してそうではなかったようです。勿論チャートの
上位に喰い込んだ音楽だけが良い、などと言うつもりは毛頭ありませんが、80年代の日本においては、
情報の少なさからかなり歪められたロック史が形成されていた様な気が、個人的にはしてならないのです。

と、ここまで書いとけば御膳立ては十分でしょうか?これからしばらくはディープでロック史において
エポックメイキングになったとされる
ロックを主に取り上げていきます…
(今までの前フリは何なの!!!Σ(oДolll)ノノ) 次回へ続く・・・

#30 David Gilmour_2

デヴィッド・ギルモアのプレイにおける真骨頂とは、全くの私見ですが、ストラトキャスターというギターの
持ち味であるクリーントーンを活かした、浮遊感とも呼べる独特のサウンド(勿論、リバーブ・コーラス・
ディレイといったエフェクター類の存在も欠かせません)と、それに基づくブルースフィーリングに溢れた
プレイにあると思っています。当然、場面場面ではディストーションサウンドも効果的に使いますし、
一概に言えるわけではありません。そして同じく重要な要素として、ピッキング等によるニュアンスの
付け方の巧みさがあります。アンプのセッティングやエフェクター類の使い方にも長けているのですが、
何よりも大本の”演奏者自身によるトーンコントロール”がしっかりなされているということです。
私は一応ギタリストでもあり、鼻血が出るほどギターが好きな人間ですが、本職がドラムなのである意味
客観的に見ることが出来ます。エレキギター奏者や電子キーボード奏者の中には、テクノロジーに溺れて
しまって、基本的に音色とは人間の口・指・手足から生まれるものだという、その他の全ての楽器に
おいて当り前の事を忘れてしまっている人達が少なからずいる、という現実があります。
ギルモアのプレイはそれを改めて思い出させてくれるのです。それが顕著に堪能できるのがこの曲です。

勿論本曲中において、エフェクター類による音色の操作を行ってないわけではありません。むしろ効果的に
それらを使いこなしていると言えます。しかしそれとは別の次元で”指”によるニュアンス、ひいてはトーンの変化の付け方が絶妙なのです。これらはジェフ・ベックなどに通じる所があると私は思っています。
これ以外ではベタなところですが、「Time」「Another Brick in the Wall part2」なども名演として
よく挙げられるプレイです。が、あえてその辺りは外してもう一曲選ぶとすればこの曲です。

また前回の記事で述べましたが、ギルモアの演奏において欠かすことが出来ないのはスライド(スティール
ギター)によるプレイです。「One of These Days(吹けよ風、呼べよ嵐)」か、これか散々迷いましたが
張るのはこちらにします。勿論「吹けよ風、呼べよ嵐」も是非聴いてください。

「Shine On You Crazy Diamond part2」。”泣き叫ぶギター”、というのはまさしくこういうプレイの
事を言うのではないでしょうか。勿論スライド(これはラップスティールによる演奏らしいです)以外の、
本曲中における多重録音によるプレイも含めて見事であるのは言うまでもありません。

期せずして、全てがアルバム「Wish You Were Here」からの選曲となってしまいました。この偏りは
流石にどうかと思いはしましたが、良いものは良いのですから仕方ありません・・・( ̄m ̄*)…
他にも「Atom Heart Mother」や「Echoes」などの長尺曲中におけるギターソロ、
「Wish You Were Here」でのアコースティックギターによる素朴なプレイ、またアルバム「おせっかい」収録の「SAN Tropez」はピンク・フロイドとしては珍しいジャジーな楽曲。アコギ、エレキ、
そしてスライドのそれぞれを効果的に用いた隠れた名演です。

前回までの記事で既に述べましたが、ピンク・フロイドというバンドはポップミュージック界において、
非常に革新的な音楽を創り上げた側面がある一方、ファンダメンタルな音楽的要素として、ブルースを
ベースとしたとても分かり易いものも持ち合わせていました。それが世界的な成功を成し遂げた要因の
一つであると思いますが、ギルモアのギタープレイはそれに大変寄与した、というよりも彼のギターが
あったからこそ、あの音楽スタイルは築かれたと言っても過言ではないと思うのです。

ギルモアと同世代にはあまりにも多くの”ギターヒーロー”達がおり、ピンクフロイドの名声に比べて、
彼自身が取り上げられることは今ひとつ少ないかと思われます。しかしプレイヤーとしての
オリジナリティと、そのバンドサウンドにおける調和
という、どちらかが際立てば片方がスポイルされると
いう相反する側面を
見事に両立させ、バンドを長く存続し得ることが出来た。見落とされがちな事ですが
これはプレイヤー・音楽家(この場合は作家・プロデューサー的意味合い)として、共に非凡な能力を
有していなければ決して成し得ない、稀有なミュージシャンの一人だと私は思うのです。

2回に渡ってデヴィッド・ギルモアを取り上げてきました。先述の通り、エリック・クラプトンや
ブライアン・メイといった同年代のスーパーギタリスト達のように、ギタリストとしてスポットライトが
当たることは決して多くはありませんが、その唯一無二の個性を持ったギタリスト、ひいては音楽家としての素晴らしい功績を、僅かばかりでも紹介できる一助になることが出来れば幸いに思います。

#29 David Gilmour

エレキギターの代名詞と言っても過言ではないフェンダー社製ストラトキャスター。この楽器には
数多の使い手・名手がいます、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、
勿論ジミ・ヘンドリックス。ですが私個人的にストラトキャスターらしさを存分に引き出している
ギタリストとして、若干意外と思われるかもしれませんが、この人を挙げずにはいられません。
それが前回まで取り上げていたピンクフロイドのギタリスト デヴィッド・ギルモアです。
1946年イングランド生まれ。幼少の頃からギターを始めます。#25でも少し触れましたが、
ドラッグの過剰摂取によって音楽活動がままならなくなった初代リーダー・ギタリストであった
シド・バレットの後任として、シド在籍中からバンドに加入しました。

ギルモアについて語る前に、ストラトキャスターという楽器についての講釈に少しばかりお付き合いを。
51年に世界初の量産型ソリッドギター(=ボディに空洞が無いタイプ。あと厳密に言えば49年には別名で
基本的に同じ様な製品が出ていたのですがその辺は割愛)として世に出た「テレキャスター」の後継機種
として54年に発売。テレキャスの扱いづらいとされた幾つかの点(それがテレキャスの持ち味と言う
ファンもいっぱいいます、私も…)を改良したストラトは当初不人気で、フェンダー社は本気で生産の
打ち切りを検討したそうです。それを180度変えたのは他ならぬジミ・ヘンドリックスです。
エレキギター・メーカーにおけるもう一方の雄であるギブソン社製ギターは、太くて甘い音色を特徴として
ジャズギタリストに好まれていたのに対し、フェンダー社はヌケの良い、高音が良く透る、枯れた音色が特徴で、カントリーやブルースギタリスト達を客層としていました。それが60年代中期に一変します。
ギブソン・レスポールはエリック・クラプトンによって(#8 Crossroadsの記事ご参照)、ストラトは
先述の通りジミヘンによって。共にロックミュージックに欠かすことの出来ない楽器の双璧となります。
どの位ジミヘンによるストラトの使い方が横紙破りだったかと言うと、ストラトの代表的特徴である
トレモロユニット(ブリッジ下部にあるトレモロアームを動かすことで音程を下げる事が出来る機能)は、
当初はカントリーなどで曲のエンディングに和音を軽く揺らす程度の使い方を想定したものでした。
ところがジミヘンは”これでもか”と音程を極端に変えるワイルドなピッチダウンや
ヴィブラートを多用し、有名なエピソードですが、フェンダー創業者であるレオ・フェンダーは
それを観て、「あれ(トレモロ)はあんな使い方をするためのもんじゃない!」と憤慨したとか・・・。

そのストラトキャスターと英国製アンプ「Hiwatt (ハイワット)」からギルモアサウンドは産み出され
ました。ハイワットは音量を上げても歪みにくい、クリーントーンを身上としたと言っても過言ではない
アンプでした。先述のクラプトンによるレスポール&マーシャルのディストーションサウンドが注目を
浴びるまで、現在では信じられない事ですが、ギターアンプが音量を上げたときに生じる”歪み”はあまり
良くないものとされていたそうです。同じフェンダー社製のツインリバーブなどがクリーントーン向けと
良く言われますが、その意味ではクリーントーンを持ち味とするフェンダーギターには、ハイワットとの
組み合わせもベストマッチの一つであったかもしれません(ただし値段も高い・・・(´Д`))。
そしてピンク・フロイドと言えば、前回までの記事でも述べましたが、エコー処理の妙、空間的音響技術の
巧みさを売りとしていので、当然ギルモアもリバーブ、コーラス、ディレイといった、ギタリスト用語で
いうところの”空間系・揺らし系”のエフェクターも重要なファクターでした。ただし私はエフェクター
マニアではありませんし、その辺りまで述べるとかなり冗長になってしまいますので割愛します。
またギルモアのギタープレイを語る上でか欠かせないのは、スライドギター(スティールギター)です。
ブルース、カントリー、ハワイアンなどでは欠かせないものでしたが、ロックミュージックでは
デュアン・オールマンやライ・クーダーによって取り込まれました。通常のギターをスライドバーで
弾く奏法と、ハワイアンなどで御馴染の横に置いて弾くスティールギターがありますが、
当然どちらもプレイしたのでしょうが、ギルモアは膝の上に置いて弾ける小型のラップスティールを
好んで使っていたようです。

決して所謂”速弾き”をするプレイヤーではありませんが、情感溢れるチョーキングやヴィブラート、
ピッキングの微妙なニュアンス、場面場面での絶妙なトーンセレクトなど、ブルースをそのルーツと
する非常に感情表現に長けたギタリストです。”速く、複雑、かつ正確に”といったファンダメンタルな
テクニックが必要無いなどとは決して思いません。しかし何でもかんでも、速けりゃイイのか?
難しけりゃイイのか?と所謂テクニック至上主義を考え直させてくれる、ワンアンドオンリーな
プレイヤーの一人であることは間違いありません。

また、あまり取り上げられない面かもしれませんが、ギタリストとしてだけではなく、その朴訥・無骨な
スタイルを持った独特なシンガーとしての側面、そして全く無名であったケイト・ブッシュという、
オリジナリティという点においてはイギリスが世界に誇る超個性的女性シンガーを発掘し、
世に売り出すことに成功した、非凡ならざるプロデューサー
音楽家としての顔もあります。

次回パート2では、具体例を挙げてその”ギルモアワールド”をご紹介したいと思います。

 

#28 The Final Cut

「Animals(アニマルズ)」コンサートツアー最終日のカナダ公演にて、演奏そっちのけで大騒ぎする
最前列の観客達に対して、ロジャーが唾を吐きかけるというアクシデントが起こります。それまで溜まった
様々なフラストレーション、具体的には昔の曲ばかりを聴きたがる聴衆、大規模なツアーによる心身の疲弊、
大会場で行われる故に生じる聴衆との溝、などによるストレスが極限まで達して先の暴挙に至ったようです。
後にロジャーは反省したようですが、この経験から、オーディエンスとの溝=”壁”をイメージし、次作である
「The Wall(ザ・ウォール)」の制作へと向かいます。かねてからロジャーはレコード・映画・コンサート現在で言う所の”メディアミックス”的展開を構想しており、それにはこのアイデアはうってつけでした。
「ザ・ウォール」の内容をあくまでざっくりと。主人公ピンクはロックスターという設定。先ず冒頭にある
短いメロディと一言”….we came in?(来たの、おれたち?)” これについては後述します。その直後
オープニング曲「In The Flesh?」はコンサートの開始を彷彿させる楽曲(歌詞は非常にシニカル)。
爆撃音のような音の後に、赤ん坊の泣き声。ピンクの誕生した瞬間へ遡ります。かなり割愛しますが
(本気で全内容を知りたい人は、和訳と解説を丁寧に記しているサイトが幾つかありますのでそちらを
ご参照)、行き過ぎた管理教育、親の過保護、やがてロックスターへと成長、しかしお決まりの
ドラッグへの傾倒、スターであるのにも関わらず孤独・疎外感を感じ、ますます”壁”を構築。終盤で
オープニングのリプライズ「In The Flesh」(?がとれている)ではこれまで溜まっていた観客への罵倒。
その後ピンクの気がふれた精神世界における、蛆虫達による自らへの弾劾裁判。母親や妻などが
関係者として証言の後、”ピンクの壁を崩せ”という大合唱とともに壁が崩れ落ちる大音量のSE。
エンディング「Outside The Wall」では牧歌的なメロディーの上で、”何だ、結局壁の外とは
結局こんな所なのか?…”の様な失望と諦めの境地のような歌詞。そして最後に一言
“Isn’t this where(ここって?)”。先の冒頭部におけるメロディはエンディングと同じもの。
ラストの歌詞冒頭の一言をつなげると”Isn’t this where we came in?
(ここってはぼくらが入って来たとこじゃないのかい?”という意味。つまり振り出しに戻るということ。
SFなどにある所謂”ループもの”の様なオチ、しかもかなりバッドエンドの・・・。

 

 

 


前作の「アニマルズ」から宇宙的・神秘的音世界はなりを潜め、現実社会における矛盾を怒りでもって
歌い上げ、サウンドもストレートなロックサウンドとなっていきました。特にそれまでフロイドの
”売り”とも言えた、広がりのあるサウンド、具体的にはエコー処理・音響空間の創造の巧みさが
なくなっていってしまったのです。従来からのファンは、当時ややもするとフロイドを見限り始めた
所だったようなのですが、意外にも若いロックファンに受け入れられたそうです。フロイドのような
大作主義は70年代後半にムーヴメントとして興ったパンク世代達などには、嫌悪される標的だった
そうですが、「ザ・ウォール」のように、ここまで徹底した大作であるとかえって新鮮に映ったのかも
しれません(あとパンクというのは一過性のもので79年頃は既に廃れ始めていました)。
結果的にはこれも特大のヒットを記録。当時で既に1,000万枚を超えるセールスを上げました。
バンドは「ザ・ウォール」ツアーを行いますが、何と1ステージ毎に本作の世界を再現するといった
暴挙… 斬新な試みに出ます。具体的にはステージと客席の間に実際に”壁”を作り、エンディングで
それを崩し去る、といったとんでもないセットを組みました。当然話題になり大盛況でしたが、
当たり前の事に経費もとてつもなく掛かったために莫大な赤字を被りました …(´Д`)

83年、ロジャー在籍時最後のアルバム「The Final Cut」発表。実質的にロジャーのソロ、そして
内省的・私小説的作品とでも呼べるもの。人によって好き嫌いは分かれるでしょうが、イギリスでは
1位を記録。「ザ・ウォール」のアウトテイクも収録されており、楽曲的・サウンド的に秀逸な
アルバムとは思いませんが、フロイドファン、ロジャー・ウォーターズファンにはその内面を
うかがい知ることが出来る作品であり、ジョン・レノンにおける「ジョンの魂」的アルバムと
私は思っています。
その後実質的にバンドは解散状態に。各々がソロ活動を経て、87年にロジャー抜きで活動を再開。
ロジャーとギルモア達は長い間反目し合いますが、00年頃から雪解けムードが漂い始め、05年には
チャリティー・イベントにて一時的ではあるものの再結成。しかし06年にシド・バレット、08年には
リチャード・ライトが死去。14年にリックへの追悼を込めたスタジオ録音のアルバム(ロジャーは
不参加)を発表しますが、これを最後にピンク・フロイドとしてはその活動に終止符を打ちます。

#26の記事の内容と重複しますが、彼らは決して突出した作曲能力や演奏技術の持ち主ではありません。
元々はブルースのカヴァーを演っていたバンドであり、やがて時代の波であったフラワームーヴメント・
サイケデリックロックの一翼として世に出ました。それらの殆どが一過性のブームとして消えていって
しまったと言えるもので、フロイドと同時期のデビューでその後息の長い活動を続けられたのは
グレイトフル・デッドとジェファーソン・エアプレイン(←名前も音楽性も移り変わって行きましたが…)
くらいではなかったでしょうか。そのようなバンドがここまでモンスター級の成功を収めたのは、
先の記事でも述べましたが、非常にレコード(アルバム)制作に長けていた、つまりそれまではラジオで
かけるのが前提である3分位の曲の寄せ集めでしかなかったアルバムを、トータルに音楽作品として
昇華せしめたのは、若干の例外を除いて彼らが初めてで、そして最も秀逸だったと言って過言では
なかったと思うのです。ちなみにその例外の一つはザ・フーの二枚組ロックオペラ「Tommy(トミー)」
(余談ですが「トミー」「ザ・ウォール」共にプロデュースはボブ・エズリン。これは偶然でも
何でもなく、「トミー」の様な超大作を仕上げた実績があるからこそロジャーはエズリンを起用したと
言われています)。アルバムが”作品”と呼ぶに値するに相応しかった70年頃から90年代半ば位までの
限られた時期に出現した、ポップミュージックにおけるある種の究極形音楽と言えるのではないかと
思うのです。この期間は、今はまだそう感じられないかもしれませんが、もっと後世にポピュラー
ミュージック史が語られる時、極々短い期間として扱われるのではないでしょうか。サイケの時代には、
意識の垂れ流しと呼んでも過言ではないような感性のみに頼ったバンドが多かった中、彼らは
感性+理性(=構築力、この場合は一般的な音楽の編曲能力と言うよりは、以前に述べた様な美術・
アート建築的なもの)を併せ持った稀有な存在だったのだと思います。

またまただいぶ長くなってしまいました。中~高校生にかけて鼻血が出るほど聴きまくったバンドの
事ですので、筆が止まらなくなってしまうことは何とぞご容赦を。これにてピンク・フロイド編は
終了です。プログレッシヴロックで続いてきた流れもここで一旦終了しようと思います。はて、
次は何を書こうか?… ま、どうせ昔の洋楽ネタには変わらないんですけど・・・

#27 Wish You Were Here

特に日本のピンク・フロイドファンの間では人気の高い作品、それが今回のテーマ
「Wish You Were Here
(炎〜あなたがここにいてほしい)」です。
前作「狂気」までにあった前衛・実験色が薄れ、抒情味が前面に押し出された比較的素直な
”ロック”として完成しています。それが日本のファンには好意的に受け入れられたようですが、
リリース時の評価はあまり芳しいものではなかったそうです。「狂気」の次作としてどれほど、
今度はどんな驚くようなサウンドアプローチをしてくれるのか、と過剰な期待を抱いていた
ファン達には肩透かしを喰った形となってしまったからです。
あまりにも成功し過ぎてしまった「狂気」がバンドにもたらした変化は、決して良いものばかり
ではなかったようです。「狂気」制作後、”やり尽してしまった”症候群的な虚無感の様な感情が
芽生え、また軽佻浮薄なショービジネス界への嫌悪感、さらに聴衆は自分達の音楽の本質を本当に
理解してくれているのかという懐疑心(特にロジャー)、勿論次作への期待に対するプレッシャー等々。
様々な試行錯誤の後、難産の末に2年以上の歳月を経て本作は世に出ます。
当初こそ好意的でない評価があったのは先述の通りですが、結果的には英米共に1位となり、
「狂気」や79年の「The Wall(ザ・ウォール)」にこそ及ばないものの(この2枚が異常なのです)、
全世界で2,200万枚というビッグセールスを記録します。

 

 

 


その音楽性は従来とは比べ物にならないほど親しみやすく、効果音などは使われてこそいるものの、
全体に溶け込んでいてそれらが突出して耳目を引くようなことはありません。シンセサイザーの
音色はよりコズミックサウンド(宇宙的音世界)を効果的に演出しており、これに関しては
前作までの流れを踏襲しています。また音楽的にはブルースフィーリングに満ち溢れていて、
ある意味では原点回帰とも言える側面もあるのでは?と私は思っています。
アルバムのオープニングとラストを飾る「Shine On You Crazy Diamond(狂ったダイアモンド)」は
初期メンバー シド・バレットについて歌ったものとされていますが、後のロジャーのコメントには
それを否定するものもあります。「Have A Cigar(葉巻はいかが)」は旧友ロイ・ハーパーが
リードヴォーカルを務め、先述したショービジネス界への皮肉を込めた歌詞となっています。
タイトル曲は明らかにシドについて歌った曲。精神を病み音楽界、ひいては通常の現実生活をも去って
行ってしまったと言っても過言ではないシドに対しての、朴訥でありながら、それでいて慈しみに
溢れた歌詞・歌唱であり、サウンドは非常にシンプルでアコースティックなもの。それが余計に
シドへの思いを表している名曲です。ちなみに ”あなたがここにいてほしい” という邦題はバンドが
わざわざ日本のレコード会社側へ指定してきたもの。ここからも彼らの思い入れがうかがい知れます。
ですが、この作品で何より白眉なのは「狂ったダイアモンド」に他なりません。

オープニング曲「狂ったダイアモンド」パート1。冒頭部、無機的な宇宙空間を想起させるようなシンセの
音色とフレーズ。そこに仄かな光と温かみを与える抒情的なギター、これだけで本作の世界へ引き込まれて
しまいます。やがてアンサンブルパートへ。ギルモアのストラトキャスターによる乾いていて、それで

ありながらハリがあり、時に泣き叫ぶ様なブルージーなギタープレイ。個人的にはこのパートは
ギルモアの
プレイのなかで一二を争うものと思っています。ヴォーカルは無骨でありながら、それでいて
そこはかとなく優しい。シド、あるいは現実からドロップアウトしてしまった者達すべてに語り掛けている
ような歌です。終盤は前作から引き続き参加しているディック・パリーのサックスソロで一旦幕を閉じます。
エンディング曲「狂ったダイアモンド」パート2。パート1同様、スペイシーサウンドとでも呼ぶべき
イントロ。リックによる短いシンセのソロ、その途中からギルモアのギターが絡んできます。本曲の
クライマックスは何と言ってもこの後のギターソロで、スライドによるまさしく”泣き叫ぶ”プレイが聴き処。
随所におけるギターのオーバーダビングも素晴らしい効果をもたらしています。曲は展開し、
パート1同様のヴォーカルパートへ。その後二つのインストゥルメンタルパート、
前者はややリズミックな楽曲であり、そして後者はエンディングを飾るに相応しい、例えるなら
宇宙からの旅路を終え、まさしく今地球に帰還するようなサウンドです(我々オッサン世代なら
イメージするのは、間違いなくイスカンダルから帰ってきた宇宙戦艦ヤマト…(´・ω・`))。

本作制作時にシドがレコーディング現場にふらっと現れたというエピソードがあります。すっかり
容姿が様変わりした彼は、スタジオで奇行を繰り広げ、メンバー達は非常にショックを受けたそうです。
この事が本作の出来に影響を与えたか否かはわかりませんが、この後、06年にシドが亡くなるまで
メンバー達は彼と会うことはなかったと言われています。

77年「Animals(アニマルズ)」発表。”資本主義は豚だ!”の様な旨の強烈な社会風刺を効かせた
コンセプトアルバム。ますますロジャーのイニシアティヴ(=独裁化)が強まり、他メンバーとの
溝は深まっていきます(特にリックと)。それまでのコズミックサウンド志向から、現実世界の不条理、
人間の内面におけるネガティブな部分について歌われており、その作風は次作「The Wall
(ザ・ウォール)」へとつながることとなります。その辺りはまた次回にて。

#26 The Dark Side of the Moon

「Atom Heart Mother(原子心母)」の成功後、バンドは初めて自分達のみでアルバム制作に
取り掛かります。ピンク・フロイドにとってその後の重要なナンバーとなる「Echoes」を含む
「Meddle(おせっかい)」を71年11月にリリース。「Echoes」はB面全てを費やした一大組曲。
2ndアルバム「神秘」タイトル曲にて萌芽していた、宇宙的音世界の発展・完成形とも言える傑作。
「原子心母」同様にサウンドコラージュ、20以上に渡る楽曲素材の構築力が見事であり、23分30秒
という長さを全く感じさせません。
これはあくまで私個人の主観なのですが、「原子心母」まであった”怖さ”の様なものがだいぶ和らぎ、
抒情味・ロマンティシズムが全編に流れているように感じます。勿論大衆に迎合したなどということは
全くなく(そうであったらもっとコマーシャルな作品を作るでしょう)、この時期メンバー達に
何某かの変化が生じたのではないかと勝手に推測しています。
A面の楽曲群も秀作ぞろいで、特にオープニング曲「One Of These Days(吹けよ風、呼べよ)」は
私以上のオッサン世代なら御馴染、アブドーラ・ザ・ブッチャーの入場曲。延々と繰り返されるベースの
上で、やはりサウンドコラージュを駆使したフロイド流音楽世界が展開されます。このベースラインは、
ワンフレーズだけ弾いて録音したテープをループ状にして再生したものとか。80年代以降なら、
サンプリングマシーンやシーケンサーで難なく出来ることですが、当時は涙ぐましいほどの労力、また
そのアイデアに至るまでの試行錯誤がなされたのです。しかしだからこそ、技術が発達した時代においては
得られない素晴らしい効果をもたらしたのも事実です。テクノロジーが乏しい方が良いなどとはゆめゆめ
思いませんが、やはりそれだけではないという事も思い知らされます。また71年8月には来日を果たし、
野外フェスティバル『箱根アフロディーテ』に出演。夕暮れ時に霧が立ち込める状況で、これ以上ない、
と言う程絶妙なシチュエーションでのライヴは、勿論その演奏の素晴らしさも相まって伝説となっています。

 

 

 


「おせっかい」リリース時にはすでに曲作りは始まっていたと言われています。それらは断片的には
コンサートで演奏され、ブートレグでは聴くことが出来るそうですが、よほどのマニア以外には
それだけを聴いてもあまり意味のないものでしょう。しかし発売前半年余りにかけて行われた
レコーディング、その後の編集作業によって、その一つ一つのピースはとんでもない怪物のような
アルバムへと変容を遂げます。
主語を入れるのを忘れていました、それはあまりにも有名な、ロック史においてエポックメイキングと
なるアルバム、言わずと知れた今回のテーマ「The Dark Side Of The Moon(狂気)」です。
一度見たら決して忘れられない様なヒプノシスによるジャケットデザインとともに、本作は多くの
ロックファンに強烈な印象として焼き付いているのではないでしょうか。
”コンセプトアルバム”とは何ぞや? と問えば、ロックファンによって百人百様でしょうが、
もし私が人に説明するとしたら、”ピンク・フロイドの「狂気」の様なアルバム”と言います。
ビートルズが「SGTペパーズ」で成し遂げられなかった事を(#3の記事ご参照)、その後、
彼らが具現化出来たのだと私は思っています。

売上通算5,000万枚、全米TOP200に741週チャートインなど、本作を語る時に
枕詞の様に出てくる説明はどうぞ各々でググってください。この作品がどうしてここまで
怪物的に支持を得たのか?あまり長いと飽きられるので私見を出来るだけ簡潔に。
私は青春時代に鼻血が出るほどフロイドを聴きまくったのであえて言いますが、彼らは
ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンの様な希代のメロディーメイカーではないですし、
レッド・ツェッペリンの様なソリッドかつヘヴィーなロックチューンをプレイするでもなし、
また同じプログレッシヴロックと言われるイエスやキング・クリムゾンの様な高度な演奏技術も
持ち合わせてはいません。じゃあ何故に?
先ずブルースをベースにした根源的な感情に訴えかける音楽性があります。彼らのルーツが
ブルースにあるのは前回の記事にて述べましたが、それはギルモアのギタープレイにもっとも
顕著に表れています。この様な言い方は身も蓋もないかもしれませんが、イエスやクリムゾンなど
よりは分かり易い音楽です。またお世辞にもポップでコマーシャルな音楽ではありません、どころか、
重く、陰鬱な音楽です。これが70年代にはまった、としか言いようがありません。60年代の
”ウッドストック幻想”のようなものが破れて、心に隙間が空いたようなロックエイジ達にドンピシャに
ヒットしたのではないでしょうか。更にSFブームや、(これは日本だけかもしれませんが)
オカルトブームなど、宇宙的・神秘的なものに対する興味の高まりもあったと思います。そして、
私は英語が得意ではないのであまりわかりませんが、彼らの歌詞(主にロジャー)は、平易な英語で、
それでいてイメージが喚起される様な、分かり易く、しかし奥深いものだそうです。英語圏ではない
人間が英米のポピュラーミュージックを聴くとき、見落としがちですが、商業的成功の為には
これは非常に重要なファクターでしょう。各国のポップスシーンに置き換えてみれば同様の事が
言えるのでは(日本は?…)。
音質的にも従来のロックアルバムよりも群を抜いて素晴らしく、
エコー処理やSEなどは後の
レコード制作に多大な影響を与えました。これにはエンジニアである
アラン・パーソンズと
クリス・トーマスの功績が挙げられるところです。

モンスター級のビッグセールス・成功を収めたバンドはその後どのような変遷をたどったのか。
順風満帆にスターダムを駆け上がっていったのか、はたまた否か。その辺りはまた次回にて。

#25 Atom Heart Mother

『プログレッシブ・ロック』と呼ばれるロックミュージックのカテゴリーがありますが、
一口に言ってもその音楽性は様々で、実際には一つには括れないものと私は考えております。
直訳すると”進歩的・先進的なロック”という意味なのでしょうが、いざその定義は? と、問われると
思わず考え込んでしまいます。ものの本によると”クラシック・ジャズ・前衛音楽などの手法を取り入れ、
従来の価値観にとらわれないロック”の様な旨が書いてあります。概ねこの説明で間違ってはいないと
私も思いますが、その定義によれば、クラシック色・オーケストラを取り入れた「ペットサウンズ」や
「SGTペパーズ」も当てはまりますし(実際これらをプログレの元祖と呼ぶ人もいます)、
ムーディー・ブルース、プロコル・ハルム、初期のディープ・パープルなどはもろにそうです。
また、ジャズ的であるというならば、ソフト・マシーンはその先駆けですし、前衛音楽的ロックと言えば
フランク・ザッパにとどめを刺すのではないでしょうか。このようにカテゴリーの定義はかなり曖昧かつ
難しいのです。では、そのプログレッシブ・ロックにおいて最も有名な、すぐに名前が挙がるバンドと
言えば、これに関しては殆ど衆目が一致するのではないでしょうか。それがピンク・フロイドです。

ロンドンで結成されたバンドは、67年にレコードデビュー。全英では初めからヒットを飛ばします。
デビュー前結成当初はブルースのカヴァーなどを演っていたようですが、やがて時代の波も
あったのでしょうが、サイケデリックロック色を強め、ライティング(照明効果)を巧みに使った
”トリップ”する音楽が売りとなります。勿論それにはこの時代のお約束としてLSDなどの
ドラッグが、演奏者・オーディエンス共にその傍らにあったのは言うまでもありません。
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)
オリジナルメンバーはシド・バレット(vo、g) ロジャー・ウォーターズ(vo、b)
リチャード・ライト(key) ニック・メイスン(ds)の四人。
1stアルバム「The Piper at the Gates of Dawn(夜明けの口笛吹き)」は全英6位を記録。
殆どの曲をシドが書き、その後のバンドの音楽性とはカラーを異にする作品です。しかし
シドはこの時点で既にドラッグの過剰摂取、また元々精神を病んでいた様で、このアルバムも
無理くり仕上げた様な状況だったそうです。トリビア的なこぼれ話ですが、アビーロードスタジオにて
本作をレコーディング中、隣のブースではビートルズとジョージ・マーティンが「SGTペパーズ」の
仕上げ作業中だったとの事。2ndアルバム「A Saucerful Of Secrets(神秘)」の
制作途中でシドは脱退。シド在籍中から既に加入していたデヴィッド・ギルモア(g)と共にバンドは
新体制で再スタートします。つまり後に世間一般で認知される事となる”ピンク・フロイド”の誕生です。

 

 

 


「神秘」は前作の流れを踏襲しつつ、しかしながらその後のコズミックサウンド(宇宙的音世界)の
片鱗がすでに見え始めています。特にタイトル曲にそれが顕著です。
その後映画のサントラ、ライヴとスタジオ録音から成る二枚組アルバムを発表し、いずれも
全英TOP10ヒットとなります。特に後者の二枚組アルバム「Ummagumma」のスタジオ盤は
非常に実験的・アヴァンギャルドな作風で、これがTOP10ヒットとなるイギリスは、時代の
波もあったのでしょうが、つくづく凄いお国柄だと思います。ちなみに私は数回ターンテーブルに
乗せただけで断念しました・・・。
ミュージック・コンクレートという音楽の一分野があります。基本的に楽器を用いず、具体音(=
グラスの割れる音や、人の足音、はたまた風が吹く音など、自然物・人工物問わず現実世界に存在
する(楽器以外の)音を組み合わせて音楽を創り上げようとしたものです。私はこの手の音楽を
ちゃんと聴いたことがありませんので、どうこう言える知識はありません。ただ60年代から、
ポップミュージックにおいても、この手法を取り入れようとする動きが現れました。結論から
言うと、これらを音楽に昇華できたのはポップミュージック界ではピンク・フロイドだけだと
私は思っています。ジョン・レノンも「ホワイト・アルバム」の「Revolution 9」という
楽曲でチャレンジしていますが、私見ですが観念的なものだけが先走り、音楽の体を成していない
というのが感想です。ピンク・フロイドにしても丸々一曲ミュージック・コンクレートで楽曲を
仕上げたというのは先述した「Ummagumma」のスタジオ盤やその他少々で、基本的には
”ちゃんとした音楽” つまり器楽・声楽演奏と、SE(サウンドエフェクト)や電子音を含んだ
ミュージック・コンクレートとのバランスを保った楽曲構成として成立させています。なぜ彼らは
それを音楽として成立せしめることが出来たのか? 一言で言えば、”起承転結がしっかりしている”、
という事に尽きるでしょう。「神秘」のタイトル曲にてそれは既に表れていました。

これらが全て音楽的に素晴らしいものとして最初に結晶化されたのが、今回のテーマである
「Atom Heart Mother(原子心母)」でしょう。あまりにも印象的なそのジャケットデザインと
共にロック史に刻み込まれています。23分強に及ぶタイトル曲は、元はギルモアが西部劇を
イメージして作ったメロディに、様々なアレンジの変遷を経て(=収拾がつかなくなり)、
前衛音楽家 ロン・ギーシンに協力を仰ぎ、膨大な音的素材群から、気の遠くなるような
編集作業の末に完成したものです。
本曲を傑作たらしめているのは、全体を通しての編集・構築感覚の見事さでしょう。音楽であると
同時に、優れた絵画・建築物を鑑賞しているような感覚に陥ります。通常のポップミュージックとは
制作へのベクトルが異なる、むしろ美術におけるコラージュ、創造的建築物の構築に近い感覚
だったのではないでしょうか(実際ロジャー、リック、ニックはアートスクールの建築学科出身)。
ミュージック・コンクレートをきちんとした音楽に昇華出来たのも、その様な能力に秀でていた
ことが理由としてあるのではないかと思われます。

本作は初の全英1位を記録、アメリカや日本でもヒットしました。一躍ロックのスターダムへと
のし上がった彼らは更に飛躍を続けます。その辺りはまた次回以降にて。