#53 Colour by Numbers

前回まで取り上げていた、プリンスやカーズといったアメリカ勢がヒットチャートの上位を
賑わせていた時期、勿論イギリス勢も黙ってはいませんでした。この時期、第2次
ブリティッシュインベンションと呼ばれた英国の、特に若手のミュージシャン達が
アメリカで(つまり世界で)人気の猛威をふるっていました。第1次は言うまでもなく
64年を皮切りとしたビートルズやストーンズをはじめとするイギリス勢の世界進出。
そして第2次というのは、80年代前半に興ったニューロマンティックとも呼ばれるジャンルの
ミュージシャン達。デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、ウルトラヴォックスといった
ファッショナブルで非常に見栄えのする人達でした。おい!!あのバンドが抜けてるだろう!
と、オッサン世代はすぐにお気付きのはず。その通り、今回のテーマはカルチャー・クラブです。

 

 

 


ボーイ・ジョージを中心とした白人3人、黒人1人から成るバンド(全員英国人)。82年に
ヴァージン・レコードよりレコードデビュー。このヴァージン・レコードというのが非常に
重要な意味を持っていると私は思います。その後、大メジャーレーベルへとのし上がっていく
会社ですが、ヴァージンの興りはマイク・オールドフィールドなどの非常に先進的な
ミュージシャンを見出した所から始まりました。ヴァージンやオールドフィールドについては
必ず別の機会にて。

バンドははじめにデモテープをEMIへ持っていきますが契約には至りませんでした。しかし、
そのデモを聴いたヴァージンが彼らと契約。英はヴァージン、米ではエピックレコードにて
レコードデビューする運びとなりました。これは当時ヴァージンが米での拠点を持ってなかった為。
1stアルバム「Kissing to Be Clever」(82年)は全英5位・全米14位を記録。きっかけは
当アルバムからの3rdシングル「Do You Really Want to Hurt Me(君は完璧さ)」の大ヒット。
全英1位・全米2位のビッグヒットとなり、一躍スターダムへ昇りつめます。
1stの音楽性はサンバ・カリプソ・サルサ・レゲエ、果てはアルゼンチンタンゴやスパニッシュまで、
といった多種多様なワールドミュージックの要素を盛り込んだダンサンブルポップス、と呼べるもの。
そもそもカルチャー・クラブというネーミングは、アイルランド系でゲイであるB・ジョージ、
英国黒人であるマイキー・クレイグ(b)、ユダヤ系のジョン・モス(ds)、そして
アングロサクソン
であるロイ・ヘイ(g)、といった面子に因るもの。この場合のカルチャーは「多民族・多人種の
文化、ひいては多文化主義」、といった意味合いでしょうか。

しかし、1stには既にその後の音楽性、というかB・ジョージの根っこにある要素だと私は思って
いますが、ソウル・R&Bといったブラックミュージックの匂いが漂っています。
今回かなり、英文のウェブページなども
拙い英語力でもって漁ってみたのですが、B・ジョージの
音楽的ルーツに関する情報は得られませんでした。どうしても、彼についてはゲイであること、
それに基づく”超個性的”なファッション、そして80年代後半からの麻薬所持をはじめとする
犯罪沙汰に関する情報等が先に立ってしまっているようです。
それらの事の陰になって見過ごされてしまっていると思うのですが、彼が非常に優秀なシンガー、
特にイギリスにおけるブラックミュージックをリスペクトしたシンガーの中において、類稀なる
実力を持った人であるという事です。

それが開花したのが、2ndアルバムで彼らの代表作でもある83年発表の「Colour by Numbers」。
全世界で1000万枚以上売り上げた本作にて彼らは時代の寵児となりました。特に本作からの
1stシングル「Karma Chameleon(カーマは気まぐれ)」は全英・全米を含む世界12か国で
No.1ヒットを記録しました。

ブルースハープの使用、ギターの音色にややカントリー&ウェスタンっぽさ、が感じられ、
全米市場を意識したのかな、と思わせる曲であり、結果的に大成功を収めます。ちなみに上記の
PVは間違いなくアメリカを意識して作られました。設定は19世紀のアメリカ。ミシシッピ川を
汽船で行き来する道中を描いたもの。もっともどう見てもリオのカーニヴァル的なオネエチャン達が
出てきてますので、その辺の設定は滅茶苦… もとい、ワールドワイドですが・・・
1stでも参加していましたが、本作では女性シンガー ヘレン・テリーの存在感が更に増しています。
声を聴いただけでは間違いなく黒人女性と思ってしまいますが、彼女は英国白人女性です。
本作にてヘレンをよりフィーチャーしたのは明らかに”黒っぽさ”を狙っての事かと私は思っています。
ゴスペル的ナンバーのA-⑤「That’s the Way」にて、それは特に成功しています。

時系列は前後しますが、彼らのブラックミュージックリスペクトが最も表れたナンバーが、
「君は完璧さ」のヒット後にリリースされたシングル「Time (Clock of the Heart)」。
全英3位・全米2位と前シングルに続き大ヒットとなった本曲は、私が思うに彼らの真骨頂である
ソウル色が明らかに、そして初めて前面に押し出されたナンバーだと思っています。

ちなみに全米で1位を阻んだのは映画「フラッシュ・ダンス」主題歌であるアイリーン・キャラの
「ホワット・ア・フィーリング」。また本曲は英盤では基本的にアルバム未収録でしたが、
当時は日本盤のみ「Colour by Numbers」にボーナストラックとして収録されていました。

はじめにEMIへ持ち込んだデモテープの内容が1stの内容だったか、もしくは既に2ndの音楽性を
示していたのか分からないので何とも言えませんが、#36の記事にて述べた通り、イギリス人には
無いものねだりとでも言うのか、実は強いブラックミュージックへの傾倒があります。仮にこのデモ
にてその片鱗があったとすれば、ヴァージンによる先見の明の勝利、と呼べるものでしょう。
逆にEMIは金の卵を逃したといったところでしょうか。もっとも1stの内容であっても非凡
ならざる音楽性でしたが。

彼らについて語られる時、B・ジョージの外見等の属性ばかりが取り上げられ、また先述した
ニューロマンティックと呼ばれる当時の流行りの中で売れたこともあって、一時期栄華を極めた
アイドルバンドの一つ、と後年になって見なされてしまっている部分があります。しかし
その音楽性は先に述べた通り、当時における最先端のエレクトリックポップやワールドミュージック
などの要素を取り入れながらも、その根底にはソウル・R&Bといったブラックミュージックが
しっかりと根差しており、確固とした高い音楽性を有していたバンドでありました。
私は彼らを、イギリスにおける優れたブルーアイドソウルのバンドの一つだと思っています。
35年経った今聴いても、それは全く色あせていないのです。

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