#107 Average White Band

年初からブルーアイドソウルではない、黒人によるブラックミュージック(変な言い方だな … 馬から落ちて落馬、みたいな)を特集していますが、ここで一度ブルーアイドソウルに戻ります(撤回早ッ!Σq|゚Д゚|p)。
前回まで取り上げていた、チャカ・カーンのソロアルバムにて初期から参加していたイギリス勢、
ヘイミッシュ・スチュアートやスティーヴ・フェローン達によるアヴェレージ・ホワイト・バンド。
このタイミングで彼らを取り上げない訳にはいきません。

 

 

 


オリジナルメンバーは全員英国白人、しかもスコットランド人(別にスコットランド差別ではありません)。
スコットランドと言えば、イギリスでも特にケルト文化が色濃く残り、牧歌的な田園風景が残っていて、
時に神秘的な文化・風習が現在でも踏襲されている情景を思い描いてしまいますが、アヴェレージ・
ホワイト・バンドはアメリカのファンク・ソウル・R&Bといった黒人音楽を、ともすれば本場の人間よりも
グルーヴ感に溢れ、かつエネルギッシュに演奏したバンドです。でもこれは完全な偏見ですね、
エディンバラやグラスゴーにも黒人音楽を聴かせる・演奏する場所は当然あったはずですし。まるで、
日本人は今だにチョンマゲ結って、ハラキリしてる、というのと変わりません。

72年にロンドンで結成。それ以前に地元スコットランドで既に演奏していた仲であったらしいのですが、
ロンドンでトラフィック(スティーヴ・ウィンウッドが在籍していたバンド)のコンサートを
観に来た際に再会し、また一緒に演奏するようになったとの事。そして彼らの演奏を聴いた友人の一人が
その時期の彼らを評してこう述べました ”This is too much for the average white man” 、と。
『平均的白人としては過ぎる』。つまり白人とは思えない程、ブラックテイストに溢れたプレイだった、
という意味でしょうか。これがバンド名の由来となったのは言うまでもありません。
バンドの特色はアラン・ゴーリー(b、vo)とヘイミッシュ・スチュアート(g、vo)によるツイン
ヴォーカル、ファンキーかつソウルフルなホーンセクション、そして初代ドラマーであるロビー・
マッキントッシュのファンクフィールに溢れた16ビートドラミングです。ロビーはジャズフルート奏者
ハービー・マンや、あのチャック・ベリーのレコーディングに参加した程の名手でした。
デビューアルバムを73年にMCAレーベルから出した後、バンドに着目したアトランティックの
超大物プロデューサー アリフ・マーディンが、彼らをアメリカへ呼び寄せ、2ndアルバムを制作させます。
それが上の「Pick Up the Pieces」を含む代表作「AWB」(74年)です。
大変語弊のある言い方を敢えてしますが、スコットランドの田舎者達が組んだバンドを、わざわざ渡米させ、
超豪華ミュージシャン(ブレッカー兄弟、ラルフ・マクドナルド等)をあつらえ、大枚をかけてアルバムを
作らせたのには、マーディンのただならぬ期待があったのでしょう。それは見事に証明されます。
本アルバムとシングル「Pick Up the Pieces」は共に全米チャートで1位を記録。特に「Pick Up the Pieces」はインストゥルメンタル曲でありながらNo.1を獲得するという異例の出来事でした。
しかし本作リリース前にロビーが急逝してしまいます。若干24歳、突然の悲劇でした。
本作からもう一曲、アイズレー・ブラザーズのカヴァー曲「Work To Do」。

ロビーの突然の死という悲劇を、バンドは二代目ドラマー スティーヴ・フェローンの加入によって
乗り越えます。ドラムを演っている人間ならその名前くらいは聞いたことがあると思いますが、
その後世界的トップドラマーとなり、前回までのチャカ・カーンをはじめ、エリック・クラプトン、
ビージーズ、アル・ジャロウなど、数えきれないほどのセッションに参加する事となります。
上は三作目「Cut the Cake」(75年)からのシングルであるタイトル曲。アルバムは全米4位、
シングルは10位という、これまた大ヒットを記録します。
ロビーも素晴らしい16ビートドラミングをプレイするドラマーでしたが、何と言ってもフェローンは
技術・グルーヴ感・センスといった三拍子が完璧に揃ったドラマーでした。

「Cut the Cake」同様にソウルトレインに出演した際の「School Boy Crush」。ロビーが
この様なドラミングが出来なかったという訳では無いと思いますが、黒人ドラマーであるフェローンの
加入により、本作以降はより黒っぽいグルーヴ・フィーリングの楽曲を聴く事が出来ます。
4thアルバム「Soul Searching」(76年、全米9位)。

シングル曲「Queen of My Soul」。本作は再びブレッカー・ブラザーズが参加し、ホーンセクションが
フィーチャーされています。本曲はそれまでにはなかったラテンフィールを持った楽曲。当時一世を風靡した
クロスオーヴァー(フュージョン)の影響は当然にあります。2nd「AWB」こそ至高とするファンには、
洗練され過ぎてしまったという向きもあるかもしれませんが、そのクオリティーは3rd・4th共に
決して引けを取らないものです。後は各々の好みと言うしかありません。

その後、セールス的には当初の様な成功を上げる事はありませんでしたが、その音楽的内容も
低下していったのかと言うと、決してそうではありません。
時代の変化と共に当然バンドの音楽性にも変化が見られました。80年、アトランティックを
離れアリスタへ移籍し、デヴィッド・フォスターのプロデュースの下にアルバム「Shine」を発表。
実は当初、本作はアトランティックから出す予定だったのですが、途中で移籍の話が舞い込み、
出来上がっていた素材の一部はアトランティックへ渡し、残りで本作を構成したとの裏話があります
金澤寿和さんのブログに詳しくあるので興味がある人は)。
ディスコ・AORといった当時世間を席巻していた音楽を取り入れ、良くも悪くもソフィスティケート
された内容なので、昔ながらのファンは嫌がる人もいたでしょうし、AORファン、特にデヴィッド・
フォスターの音楽を好む人なら文句なしに気に入るでしょう。また同じ話になりますが、2ndこそ
彼らの真骨頂とするリスナーからすると物足りない内容なのかもしれませんけれども、それは
意固地になって時代の変化を受け入れないというのと紙一重です。AOR世代にとって、
本作は結構高い評価を得ている、というのもこれまた事実です。

そんな事言いながら、私も基本的に、80年代の音楽で止まっていたりするんですけどね・・・
ただ私の場合、これ以上新しいのを追っかけるのは無理だとある時期に思ったので … 実際、ユーチューブで幾らでも聴けるようになった現在においても、50~80年代を再確認するので手一杯です・・・
ですから、オールディーズから最新音楽まで、常にフォローしている人はある意味凄いな、とは思ってます。

チャカ・カーン、アヴェレージ・ホワイト・バンドと取り上げて来ましたので、久しぶりに本ブログの
本文を果たそうかな、と思っています・・・ところでこれって、何のブログだったっけ?(´・ω・`)…
100回以上書いてるのにそれかよ!!!・・・・・ ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ・・・・・

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