#142 Otis Blue

オーティス・レディングを語る上で欠かせないのは、その演奏及びソングライティングを務めた
ブッカー・T&ザ・MG’sの存在です。彼らについてあまり詳しく言及するときりがないので、
以降ではオーティスに関わる点のみに絞り折に触れ述べていきます。

チャートアクション的に代表作と言えば、遺作となった「The Dock of the Bay」(68年)なのですが、
オーティス及びソウルファンが彼の最高傑作と口を揃えるのが65年発表の
3rdアルバムである「Otis Blue/Otis Redding Sings Soul」です。
おそらくは最高に脂がのっていて、後に触れる事ですが喉を傷める前の状態で録音が出来た、
歌・楽曲・演奏と三拍子が揃ったソウル史に残る大傑作です。上はブッカー・T&ザ・MG’sの
ギタリスト スティーヴ・クロッパーのペンによるオープニング曲「Ole Man Trouble」。

アレサ・フランクリンの大ヒットで有名な「Respect」はオーティスのオリジナル。
裏話として、自分の曲で吹き込みも先であったのに、アレサ版が大ヒットした事に
かなりの嫉妬を抱いていたようです。しかしどちらも名唱である事に異論はないでしょう。

サム・クックのA-③「A Change Is Gonna Come」も素晴らしい事この上ないのですが
涙をのんで割愛。
上はオーティスによる代表曲の一つである「I’ve Been Loving You Too Long
(愛しすぎて)」。67年のライヴとしか動画の記述はありませんが、言うまでもなく
あまりにも有名なモントレー・ポップ・フェスティバルにおける歌唱です。
オーティスやアレサ、ロイ・オービソンにコニー・フランシスといった、
持って生まれた声・歌唱能力というものに対して、凡人は抗えないのではないかと
思わされてしまいます。私はシンガーでなくて良かった(でも器楽演奏も天賦の才が
左右するという事は30年以上楽器を演ってきてイヤという程思い知らされましたがね … )。

41年ジョージア州生まれ。六人兄弟の四番目にして長男。黒人シンガーの多くがそうである様に
幼少の頃から教会の聖歌隊で歌い始めます。10歳にて歌とドラムを習い始め、高校時代には
バンドでヴォーカルを務めます。毎週日曜日には地元のラジオ局でゴスペルを歌って6ドルを
得ていたそうです。影響を受けたのはリトル・リチャードとサム・クック。特にリトル・リチャードに
心酔しており、” リチャードがいなかったら今の自分はない ” と語っている程です。動的で
激しいシャウトはリトル・リチャードにインスパイアされたものでしょう。
15歳の時に父親が病気になり、家計を支えるために高校を辞めて建設現場・ガソリンスタンド店員、
そしてミュージシャンとして働き始めます。
陽の目を見るきっかけは58年に行われた地元のコンテストにて。15週連続でそのコンテストを
勝ち抜け5ドル(現在の価値で43ドル)を手にしました。ちなみにジョニー・ジェンキンスが
その場におり、後に彼のバンドでバッキングヴォーカル兼運転手を務めるのは前回述べた通りです。

サム・クックのナンバー「Shake」はリズミックな所謂 ” ハネる ” ナンバー。オーティスの歌は
勿論の事、アル・ジャクソンのドラムも絶品。アルは決して技巧派のドラマーではなく、
むしろどれだけ音数を減らし、その中で表現が出来るかを追求したドラマーです。
本年一発目のテーマであるアル・グリーン「Let’s Stay Together」(
#101ご参照)などは
その極地と言われています。本曲は比較的音数が多い方ですが、3連符の中に16分音符の
フレーズを入れる所などが ” 味なプレイ ” です。

本作のB面は「Shake」を皮切りに全てがカヴァー曲。テンプテーションズ「My Girl」、
これまたサム・クックの「Wonderful World」、そしてローリング・ストーンズ「Satisfaction」と
目白押しですが、なんとこの曲も取り上げています。泣く子も黙るB.B.キング「Rock Me Baby」。
ブルースを歌わせても天下一品です。ソウルもブルースも根っこは演歌と一緒だと私は思っています
(ソウル・ブルースファン、演歌ファン、どちらにも誤解を招きそうな表現かもしれませんが、
人の感情の根源を揺さぶる歌唱・演奏という点ではどちらも共通しているものがある、という意味です)。

エンディング曲はウィリアム・ベルによる61年のヒット「You Don’t Miss Your Water
(恋を大切に)」。ウィリアム・ベルはオーティスと同じスタックスレーベルの所属でした。

本作は米R&BチャートでNo.1となります(ポップスでは75位)。面白いのはイギリスでは
最高位6位でシルバーディスクを獲得します。実は本国において奮わなかったデビューアルバムから
英ではTOP40入りしており、イギリス人のブラックミュージック好きが顕著に表れています。
ソウル・R&Bにかぶれたストーンズは勿論、ジョン・レノンやポール・マッカートニー、
ピート・タウンゼント、キンクスのデイヴィズ兄弟といったブリティッシュ・インヴェイションの
面々たちは挙って、この突拍子もない天才ソウルシンガーに夢中になったと言われています。

この様に米ソウル界及び海を隔てた英国では不動の人気を固めていったオーティスでしたが、
米ポップスチャートを見ればわかる通り、白人層への浸透度はまだ十分とは言えませんでした。
60年代中期ではまだまだ白人のロック・ポップス、黒人の為のソウル・R&B・ファンクと、
音楽も訳隔てられていたのです。そんな状況に転機が訪れるのは・・・
その辺りはまた次回にて。

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