#200 Goodnight Saigon

” 変わらないでおくれ、僕はそのままの君が好きなんだから ”
あまりにも有名な一節を含むビリー・ジョエルの名曲「素顔のままで(Just the Way You Are)」が妻であるエリザベスに対して書いた曲であるというのは#183
で触れました。しかしながら悲しい事に永遠の愛というものはなかなか存在せず、ビリーとエリザベスの仲にもやがて終焉が訪れます。しかもかなり面倒な事になるのです・・・・・

エリザベスが妻であると同時に優秀なマネージャーでもあったという事は既述ですが、その優秀さは良からぬ方向へも発揮されます。80年頃にビリーの弁護士として実の兄、自分の後任マネージャーとして義理の弟を就けます。ビリーは元々裕福な生まれのせいか、銭金勘定には疎かったらしくその点に関してはエリザベスまかせだったと言われています。この頃から二人の間に亀裂が生じ始めたとも言われます。そして前回も触れた通り「The Nylon Curtain」リリース直前にバイク事故を起こす訳です。
上はA-③の「Pressure」ですが、当時におけるビリーの状況でしょうか?・・・・・

82年の末に二人は離婚したそうですが、事故で入院中に離婚の書類やら財産分与に関する書類やらをギプスをはめた手でサインさせられたとかなんとか ……… 清々しい話です・・・

A面ラストの「Goodnight Saigon」。言うまでもなくベトナム戦争について歌っています。私はポップミュージックに政治的・社会的メッセージを込める事はあまり好ましく思えないので、歌詞の内容についてはあまり興味が無いのですけれども、戦地へ赴いた名もなき兵士たちの事を歌ったものです。興味がある方は検索してみてください。楽曲についても、戦争反対を高らかに歌うより戦地における若者たちの同志愛を描いたものなので、悲しみの中にも優しさがそこはかとなく感じられる曲調です。「キャプテン・ジャック」や「イタリアンレストランにて」の様な物語的楽曲がビリーの十八番と以前に書きましたが、これもビリー流物語の一つなのかもしれません。

あと一つ、何か書こうと思っていたのですが、それがどうしても思い出せません ………
二百という数字が関係していたような、いないような ・・・・・・・・
思い出せないという事は大したことではないという事ですよね! …………………………

#199 Laura

自分にとっての「サージェント・ペパーズ(ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)」を創る。
ビリー・ジョエルは「The Nylon Curtain」(82年)を上の様な想いから制作に取り掛かりました。「サージェント・ペパーズ」は言うまでもなくビートルズが67年にリリースしたアルバム。よく言われるのは3分間ポップソングでしかなかったロックを新たな高みまで引き上げた作品である、という事。私は「サージェント・ペパーズ」が一番好きなアルバムという訳ではなく、また3分間ポップスも悪いとは全く思いませんが、従来のロックミュージックとは一線を画した作品である事に異論はありません。その辺は#3で触れていますので宜しければ。

82年の4月15日にビリーはバイク事故を起こします。かなりの重傷で、しかもピアニストにとって命である指と手首にかなりの損傷を負いました。この事故により6月にリリース予定であったアルバムが9月まで伸びることとなりました。
「The Nylon Curtain」は全体を内省的な雰囲気が覆っている作品ですが、まるでバイク事故によってビリーのスター人生に影を落とす事を予見していた様だ、とオカルト信者は言い出しそうですけれども、事故はあくまでたまたまの出来事でしょう。もっともその前から妻であるエリザベスからバイク禁止令が出されており、そのストレスが事故に繋がったという見方もあるので全く関係ないとは言い切れないかも …

上はA-②「Laura」。ビートルズファンや洋楽にある程度精通している人なら ” まるでジョン(レノン)みたいだ ” と感じることでしょう。ビリーはそのメロディメーカーとしての世間的イメージからポールとよく比較されるところですが、精神的・音楽的にはジョンの影響が強いと思われます。多分「レット・イット・ビー」や「ロング・アンド・ワインディングロード」の映像でピアノを弾きながら歌うポールのイメージが強すぎての事だと思いますが、ポールは言うまでもなく卓越したベーシストであり、またギタリストとしても非常に優れたプレイヤーでした。ビートルズ初期において、最もギターが上手かったのはポールだと言われています(ピアノが下手と言う訳ではなく)。「Laura」から感じられるのはジョンの「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」や「アイ・ウォント・ユー」において感じられる ” 粘っこさ ” です。歌詞においてもかなり難解な面があり、やはりジョンの影響かな?と思われる所があります。

自分にとっての「サージェント・ペパーズ(ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)」を創る、というのは唐突に思い立った事ではなく、言うまでもなく80年12月におけるジョンの悲劇的な死を受けての事だったと思われます。エド・サリヴァンショーにおけるビートルズを観てロックンロールの洗礼を受けたビリーにとって当然ジョンはヒーローの一人でした。ジョンの死、及び周囲との確執(妻 エリザベスやその親族)などがビリーの中で徐々に黒い影を落とし始め、そして82年4月の大事故が起きてしまいます。周囲との確執って何? というのは次回以降にてまた。

ところでこのブログを書いているのは12月7日。明日はジョンの命日です。ビリー・ジョエルに関する記事なのですが、ジョンの話に繋がったところで何か一曲。これもビリーは相当好きだったのではないかな? と思うものです。厭世的な歌詞などが特にビリー好みだったのでは・・・

#198 Allentown

社会学の分野において、欲求5段階説というものがあるそうです。
飢える事無く雨風しのげる住まいや生活用品を確保するという根源的な欲求から始まり、家族・会社・地域社会といった仲間とのつながり(所属)及び愛(勿論性欲も含む)を求めるようになり、やがてはさらに他社から認められたい(承認・尊厳)という欲求へと発展していきます。承認の欲求が最終段階化と思いきや、この学説ではさらに上のステージがあり、それは自己実現の欲求だそうです。つまりこの段階になると他人の評価などは関係なくなり、自分自身が満足できるか否かという欲求になります。富も名声も得た人間が突然出家するなど、精神的満足を得る行動に移る事があるのはこれでしょう。

ビリー・ジョエルはプロデビューの当初はホームレス生活を経験するほどの困窮ぶりでした。やがて「ピアノマン」のヒットによりミュージシャンとして生活は出来るようになり、そして「ストレンジャー」の大ヒット以降は誰からも認められるメインストリームの大スターとなりました。そんなビリーがやげて自己実現の欲求を満たそうとしたのは。上の学説からすると当然の帰結なのかもしれません。
上は82年のアルバム「The Nylon Curtain」におけるオープニング曲でありシングルカットされた「Allentown」。鉄鋼の街であるアレンタウン。かつては栄えたもののやがて製鉄業の衰退と共に活気を失い、そこで暮らす若者たちはなかなか職にありつけない様な状況にある。街を出ていく若者、あるいは葛藤を抱えながら残る者と、淡々とした曲調の上でリアリティあふれる社会的問題が歌われます。

「The Nylon Curtain」の発売前後、ビリーに様々な問題が降りかかります。その辺りは次回以降にて。

#197 Songs in the Attic

『屋根裏部屋の曲たち』。アルバムジャケットでも表している通りに銘打たれたビリー・ジョエル81年リリースのライヴアルバムは、30秒にも渡る印象的なエフェクト音にて幕を開けます。「ニューヨーク物語」(76年)のエンディングナンバーである本曲は、その快活な曲調とは裏腹に近未来ディストピアSF的な内容であるのは#181で既述の事。突っ走り気味なリバティ・デヴィートのドラムが素晴らしい、彼はこれでイイのです。

そのタイトルが物語る通り、本作はストレンジャーで大ブレイクする以前の楽曲で構成されており、全てが80年6~7月における「グラスハウス」ツアーによるもの。当然「素顔のままで」「マイライフ」といったヒット曲もセットリストに入っていたわけなのですが、あえてそれらを一切収録せず、最初のヒット曲「ピアノマン」さえ入れないという徹底振り。陽の目を見なかった作品たちにスポットライトを当ててあげたいという気持ちも勿論あったのでしょうが、それだけではない意地の様なビリーの意図も汲み取れないではありません。
上は「ストリートライフ・セレナーデ」(74年)中の「Los Angelenos」。

実際に頑なまでヒット曲を収録しなかったのはビリーのコロムビアへ対する反抗心であった様です。時代の寵児となったビリーに対し、「グラスハウス」ツアーの終了後すぐに新作へ取り掛かるようビリーへ要望しますが、彼はなかなかその気になれない。人気絶頂の内に少しでも売りたい、間隔を空けて世間の興味が薄れるのを嫌がったレコード会社が、ではライヴ盤を出そう、とビリーに持ち掛けて、ビリーも渋々同意した、というのが実情だったそうです。それでもコロムビアの言いなりになるのが癪だったビリーが持ち出した折衷案がヒット曲を一切入れないというものだったようです。
それでも天下のビリー・ジョエル。本作は全米8位という大ヒットを記録します。まだベスト盤が出ていなかった当時においては、「ストレンジャー」より前の曲を本作で初めて知り、改めてビリーのファンになったというリスナーも少なくなかったとか。好循環で回っている時は何をやってもうまくいきます。#174で既述のデビュー作「She’s Got a Way」と「Say Goodbye to Hollywood」が
本ライヴ盤からシングルカットされ、これまたヒットします。

世界はビリーを中心に回っているのではないかと思えるほどの成功振りですが、はたしてこの後は・・・・・

#196 Glass Houses

上はビリー・ジョエルのアルバム「Glass Houses」(80年)においてB面のトップを飾る「I Don’t Want to Be Alone」。当時流行しつつあったレゲエ・スカのリズムを取り入れた本曲はイギリス勢の影響を受けたのではないか? と思っています。そしてこの歌い方、どこかで聴いた事が? と首をひねりがちになるんですけれども・・・
そう! エルヴィス・コステロにどことなく似ているんです。コステロは前年に3rdアルバムが全米TOP10入りするほどに躍進していましたので、コステロをはじめ英国勢の若手が好んで取り入れたレゲエ・スカといった音楽やその歌い方に関して影響を受けたとしてもなんら不思議はありません。70年代後半にイギリスでパブロックと呼ばれる米のオールドスタイルR&Rをリスペクトしながら独自の音楽が生み出されました。デイヴ・エドモンズ、ニック・ロウ、そしてエルヴィス・コステロ達がその代表格であり、まだ売れる前のヒューイ・ルイスが欧州で武者修行していた時にエドモンズやニックと知り合い交流を深めた、というのは以前に書きました(#85ご参照)。またストレイ・キャッツが認められたのも初めは英国においてです。
全くの推測ですが、ビリーは彼らの動きに先を越された!くらいの感じを受けたのではないでしょうか。本国では廃れつつあったオールドスタイルR&Rのスピリットを、海を隔てた英国のミュージシャンたちが復興させた事に本国のミュージシャンとして歯痒い想いを抱いたのではないかと。ちなみにコステロの米における発売元はビリーと同じコロムビアレコードです。

再びタイトなロックチューンである「Sleeping with the Television On」。中間部のチープなオルガンの間奏がこれまたコステロっぽく聴こえます。 ” テレビをつけっぱなしで寝る ” というのは、むなしい朝を迎える、退屈な日常を繰り返す事の比喩の様です。アメリカでは昔からテレビ(この場合は地上波というやつ)は無趣味・無教養な人間が視るもの、貧乏人の娯楽と蔑まされていました。日本でもようやくアンテナの敏感な若い人達の間ではそうなっていますね。まともな感性であんなくだらないものは視れません。

これまた素晴らしいロックナンバーである「Close to the Borderline」。本作においてはドラムのリバティ・デヴィートとベースのダグ・ステグマイヤーが重要な役割を果たしている、というのは前々回にて既述ですが、本曲においてそれが十二分に発揮されています。憧れのジョージ・マーティンとの仕事を袖に振ってまで守り抜いた自身のバンド。それが本作で見事に結実されたのです(#186ご参照)。特にデヴィートのドラムが素晴らしく、彼のドラム抜きに本作は完成出来なかったのではないかと思えるほどです。

アルバムラストの「Through the Long Night」。多くの人が本曲だけがこのアルバムの中で浮いていると思うのではないでしょうか。勿論私もそうです。内省的な曲調・歌詞は本作のコンセプトからはベクトルが外れています。どう考えても次作である「ナイロン・カーテン」に収録されていた方が良かったのでは?・・・ そうです。ビリーはこの時からすでに「ナイロン・カーテン」の構想があったのでは? と私には思えてなりません。本曲はビリーが最後に提示した次作の方向性だったのはないでしょうか。

” Glass Houses ” が諺中の単語であることを知らなかった頃は、冒頭のガラスが割れる音は前作迄のイメージをぶっ壊してやる!的なビリーの意気込みくらいだと思っていました。勿論そういった想いもあったかもしれませんが、諺の意味を知ってからはまた別の意味合い、これは好き勝手言ってばかりいるリスナーやプレス、特に評論家をはじめとしたプレス連中への強烈な皮肉だったのではないかと個人的には解釈しています。
現在でも俗にいうマスコミの状況は全く変わっていませんけれども・・・・・

#195 It’s Still Rock and Roll to Me

ビリー・ジョエルが80年にリリースしたアルバム「Glass Houses」についてその2。
R&Rナンバーが二曲続いた後に少し箸休め的なナンバーである「Don’t Ask Me Why」。本作からの第三弾シングルである本曲は全米19位というヒットを記録しましたが、一つ前のシングル「It’s Still Rock and Roll to Me」がビリー初の全米No.1となったのでその陰に霞みがちです。しかしライヴでは必ず披露される定番曲だったらしくファンの間では人気のナンバーです。アコギの軽やかな印象によってロックンロール色が薄いように感じてしまいますが、そこはどうして、ボ・ディドリーばりの所謂ジャングルビートでしっかりと ” ロック ” しています。

画質は最悪ですが84年のビリーが乗りに乗っていた頃の模様が上の動画。本曲はジャングルビートと共にラテンビートも併せ持っています。ロックンローラーはラテンも好みます。初期のビートルズが良い例です。会場との一体感が伝わる貴重な映像です。

先述の通りビリーにとって初の全米No.1シングルとなった「It’s Still Rock and Roll to Me」。批判を顧みず率直に言えば、ビリーによる数多の名曲の中において本曲は突出した楽曲ではありません。ですけれども、ディスコの潮流がまだ蔓延り、さらにニューウェイヴが台頭しつつあった80年初頭において、こんなド直球のロックンロールナンバーが天下を取ったのは奇跡です。言い替えればビリーの人気・勢いが時代を凌駕したのです。誤解を恐れず言うとこの時点でビリーは何を演っても成功したと言う事が出来、それは良い意味における強者の特権でしょう。ポール・マッカートニーですらこれほどの勢いはありませんでしたから。

A面ラストの「All for Leyna」。アルバム発売に先駆けてイギリスのみでシングルカットされました。曲中の主人公が一夜限りの関係を持った女性にやがてのめり込んでいくという内容。イントロにおけるピアノの連打が翌年のホール&オーツによる大ヒット「キッス・オン・マイ・リスト」(#57ご参照)と似ているな?影響を与えたのかな? と思っていましたが、よく考えたらホール&オーツのアルバム「モダン・ヴォイス」は80年7月のリリースで「Glass Houses」の4カ月後。「キッス・オン・マイ・リスト」は随分時間が経ってからリリースされ、爆発的にヒットしてホール&オーツ第二次黄金期の礎を築いた曲でした。
「モダン・ヴォイス」もプログレ、ハードロック、ニューウェイヴと色々チャレンジしてきたホール&オーツが、彼らのルーツであるソウル・R&B・R&R・ドゥーワップといった音楽へ原点回帰した作品でした(ただし全部が全部という訳ではなく)。時代を極めたビリーが商業性を(あまり)気にせず行う事が出来たのに対して、ホール&オーツは「リッチガール」(77年)以来ヒットから遠ざかっていました。対照的な両者達が選んだ方向性が原点回帰、というのも興味深いものです。

#194 You May Be Right

People who live in glass houses should not throw stones
(ガラスの家に住む者は石を投げてはならない)
ということわざがあるそうです。
自分も完璧ではないのだから他者を批判するな、というくらいの意味です。ガラスで出来た家に住んでいる人が誰かに石を投げると、その仕返しに石を投げ返されたら大きな損害を被ります。よって自分から石を投げるようなことはしないでおきなさい、という教訓を垂れているとする説。あるいはガラスで出来た家の中から外に向かって石を投げたら、自分の家が壊れてしまうから止めておきなさい、という説もあるそうです。

ビリー・ジョエルが80年に発表したアルバム「Glass Houses」。実の所ビリーは「ストレンジャー」の次作を本作の様にするつもりであったのではないかと推察しています。「素顔のままで」にて世間に染みついてしまった ” ビリー=バラードシンガー ” というイメージを粉々に砕いてやろうと思っていたのではないか? しかしさすがにプロデューサーであるフィル・ラモーンをはじめとした周囲から説き伏せられ「ニューヨーク52番街」に落ち着いたのではないであろうかと勝手に思ってします。オープニング曲「ビッグ・ショット」のハードさは、ビリーによるせめてもの抵抗では? とか想像したりしています。

二作続けてビッグヒットを飛ばしたので、さすがに周りもビリーの意見を尊重せざるを得なくなったのか?「Glass Houses」は見事に世間を裏切り、予想の斜め上を行くものとなりました。本作にはロックンローラーとしてのビリーの本性が炸裂しているのです。#186にて既述ですが、ビリーも『エドサリヴァンショー』におけるビートルズを観てR&Rの洗礼を受けた一人です。「ストレンジャー」や「ニューヨーク52番街」が偽りのビリーなどという事は勿論ありません、あれらもビリーの音楽です。しかしあまりにもバラード、ジャズテイストの都会的ポップスなどのイメージが定着してしまい、ビリーはこれに嫌気が差したのではないでしょうか。

ガラスが割れる音から始まるA-①「You May Be Right」は本作を象徴するナンバー。本作では特にリズム隊であるダグ・ステグマイヤー(b)とリバティ・デヴィート(ds)が重要な役割を担っています。R&Rはベースとドラム、そしてリズムギターが肝です。速弾きギタリストの登場によって、70年代後半くらいから間奏のギターソロがやたらと取り上げられる風潮になりましたが、元々はグルーヴが命の音楽です。
話しは少し飛びますが、布袋寅泰さんはギターソロは必ずしも無くて良いという考えだと聞いた事があります。私は決して布袋さんについて詳しい訳ではありませんが、この考えがギタリストである布袋さんによるものとは非常に興味深いです。R&Rの本質を見失っていない、やはり真のロックンローラーなのでしょう。

ガラスの割れる音の次は、電話をダイヤル(といってもプッシュボタンによるもの)する音です。A-②の「Sometimes a Fantasy」も極上のタイトなR&Rチューンです。遠距離恋愛で会えない彼女に電話をかける、それだけ聞くと80年代のラブコメか?と思ってしまいますが当然そんな訳はなく、 ” モヤモヤ ” した男が彼女に電話をしてエロチックな気分に浸ろうという、要はテレフォン〇ックスの事です。アルバムヴァージョンはでPVのオチは無くフェイドアウトですが、曲中のテレフォン〇ックスは電話をかける前のビリーによる妄想であり、現実には彼女は留守か寝てるかで電話には出なかった、チャンチャン、というやつです。

R&Rへの原点回帰とは言っても、ただの50’S~60’sに対する懐古趣味には終わっていません。本曲において聴くことが出来るシンセなど、時代の潮流はしっかり掴んでいます。ビリーと言えば生ピアノやローズなどのエレピというイメージがありますが、勿論キーボード全般に明るく、シンセサイザーも早くから取り入れています。
先の話で速弾きギターソロはロックの本質ではない、と言いましたが、アウトロで速弾きが出てくるので ” なんだ、ちゃっかり時代に迎合してるじゃん… ” とか言う向きもあるかもしれませんが、それはあくまで表面上、本質を理解していない人が言う事です。ちなみにこのアウトロがフェイドアウトされずに最後まで収録されているのが上のシングルヴァージョンです。この ” 突っ走り感 ” が本当に素晴らしい。ちなみにエンディングがビートルズの「ヘルタースケルター」におけるポールの叫び声 ” 指にマメが出来ちまった! ” にちなんでいるのは言うまでもない。

#193 52nd Street

ビリー・ジョエルが78年に発表したアルバム「52nd Street(ニューヨーク52番街)」は、ビリーにとって初の全米アルバムチャートにおけるNo.1ヒットとなり、更にグラミー賞(80年)において最優秀アルバム賞及び最優秀男性ポップボーカル賞を受賞します。「ストレンジャー」からの勢いは留まる事を知らず、時代の寵児となりました。
上はB-③の「Half a Mile Away」。「マイライフ」同様にポップな曲調ですが、歌詞は「マイライフ」の様に病んで(?)はいません。ものすごくざっくり言うと ” 毎日くたくたになるまで働いているんだ、週末くらいは好きに遊ぼうぜ!半マイル向こうに別世界があるんだ!” のような内容だそうです。N.Y. における市井の人々の暮らし・願望を歌った、くらいのビリーにとっては普通(?)の歌詞です。

B-④「Until the Night」を聴けば、知っている人はライチャス・ブラザーズの「ふられた気持ち」じゃね? と思ってしまいますがそれは正解です。ビリーとプロデューサーであるフィル・ラモーンは明確な意図をもってフィル・スペクターによるこの稀代の名曲をリスペクトしたそうです。もっともフィル・スペクターサウンドという点については「さよならハリウッド」ですでに取り入れていましたが。本曲が後の「イノセントマン」につながるのは言わずもがなです。

ダイナミックな「Until the Night」の後、アンコール的に歌われる様な形を取った小曲「52nd Street」にてアルバムは終焉を迎えます。

私見ですが、「ストレンジャー」「ニューヨーク52番街」「グラス・ハウス」「ナイロン・カーテン」「イノセント・マン」がビリーの黄金期であり、いずれも甲乙付け難い作品であります。それでもこの中からどれか一つと問われれば、各楽曲のクオリティーやトータルバランスという点において、私は本作が頭ひとつ抜きん出ている、と思っています。
ほんとにちょっとです、どれも大好きなアルバムばかりです。

#192 Rosalinda’s Eyes

78年4月にビリー・ジョエルは初来日公演を行います。しかし本公演はぎりぎりまで実現出来るかどうか危ういものだった、というのは意外な話しです。77年中には「素顔のままで」のヒットと共にアルバムも売れていたのに何故?と思ってしまいますが、実は「素顔のままで」が全米チャートを駆け上がっていったのは翌78年になってからであり、最高位3位を記録したのは2月18日の事。勿論インターネットなど無い時代、最新の洋楽紹介番組である『ベストヒットUSA』もまだ始まっておらず、海の向こうの最新音楽動向などは一部の業界関係者、もしくはよほどのマニアしか知る由がない所でした。

日本では同時期にビリーの知名度が上がる下地が作られます。ソニーのテレビCMに「ストレンジャー」が使用されたのです。これは勿論米におけるビリーの大躍進の兆しを知っている業界関係者によるものでした。ちなみにアルバム「ストレンジャー」の日本におけるリリースは翌78年の事。またシングル「ストレンジャー」が日本のみの発売となったのはこのテレビCMが先にあった為、というのも言わずもがなです。はじめに豪公演の後に日本へ寄りたい、という申し出がビリー側からあったそうです。しかし会場の問題などで日本サイドは二の足を踏んでいました。ところが「素顔のままで」の大ブレイクと日本における「ストレンジャー」の人気から、何とか調整をして来日公演を実現させたそうです。

ストレンジャーの世界的成功に気負う訳でもなく、かといって二番煎じを作るでもなく、次作「52nd Street」が余裕さえ感じられる傑作となったのは既述の事です。A面に有名曲が集まっている為にB面は地味な印象を一般的には受けてしまいますが、実はA面に負けぬほど素晴らしい楽曲ばかりが収録されています。
上はB-①の「Stiletto(恋の切れ味)」。スティレットとは先の細く尖ったナイフを指します。ナイフで切り付けられ様な恋愛、といったかなりマゾヒスティックな内容に取れますが、もうちょっと深い意味があるのかな、と私は思っています。本曲は妻エリザベスの事を表したとされていますが、後に離婚する二人ですけれどもまだこの頃は円満であったと言われています。それにしても「素顔のままで」であれほど甘い歌を創った後に、同じ妻に対して真逆の歌を創ってしまうのは興味深いです。ちなみにエリザベスはかなりやり手のマネージャーでもあったそうです。

今回のテーマであるB-②「Rosalinda’s Eyes」はビリーの中で決してメジャーな曲ではありません。なのですが、私はともすれば「ビッグショット」と並んで本作のベストトラックではないかと思っています。アルバム中少なくとも一曲はラテンテイストの曲を入れる事をポリシーにしている、というのは以前に書きましたが「52nd Street」においては本曲がそれです。かなりゆっくりめのサンバフィールとでも形容しましょうか、それはボサノヴァでは? と言う向きがあるかもしれませんが、本曲のグルーヴは明らかにボサとは異なり、やはりサンバとしか言えません。随所でエレクトリックピアノが印象的な本曲ですが、本アルバムにおいてビリーはフェンダーローズとヤマハCP70の両方を使用しています。私は鍵盤は門外漢なので自信はありませんけれども、これはローズだと思います。CP70はクラヴィネットっぽい音色だそうですから。ロザリンダはビリーの母親の名前(スペルは ” Rosalind ” でaが付いてないらしいですが)。つまり本曲は母に捧げたものです。

舞台はN.Y. のスペイン街であり、ミュージシャンである主人公とロザリンダという(多分)踊り子の物語です。決して生活が楽ではない主人公だが、ロザリンダはその才能を認めて信じてくれている。ロザリンダの瞳を通して主人公はキューバの青空を見る(キューバはスペインの植民地であった)。自分はそこに行くことはないだろうと語っているので、彼はキューバの出ではないのでしょう。ビリーの母親は彼のミュージシャンになりたいという願いを肯定的に認めてくれていたそうです。

ポルトガル語にサウダージという言葉があります。翻訳家泣かせのワードらしいのですが、
郷愁、思慕、切なさといった憂いの感情を指し、ブラジル人気質を表す言葉と言われます。明るい、あるいはのどかな曲調の中にもどこか切なく憂いを帯びた雰囲気を漂わせる、サンバやボサノヴァに限らずラテンミュージックには甘さと辛さが表裏一体となった独特のテイストがあります。それは本曲でも感じる事が出来、特にリコーダーソロが終わって歌詞で言うと三番の歌いだしの所、演奏が中断されビリーの歌のみとなり、そこにエレピの音色が素晴らしい栄えをもたらします。この部分の歌詞は、バンド内でも孤独でなおかつ安月給の自分ではあるが結婚式のドレスを準備するんだ、というもの。影と希望が同居し、それが明るくリズミックな曲調の中にも寂寥感を醸し出していて、これこそまさに ” サウダージ ” なのだと私は思っています。

最後にユーチューブで面白いものを見つけたのでご紹介。「Rosalinda’s Eyes」のデモその1・その2が上がっています。興味深いのは1の方で、最初の段階ではだいぶ印象の異なるものであった事。このテイクも素晴らしいので、何なら本ヴァージョンでも仕上げて欲しかったと個人的には思ってしまう …

#191 Zanzibar

ビリー・ジョエルと言えば「素顔のままで」「オネスティ」といったバラード、というイメージが定着している。というのは既述ですが、「素顔のままで」はともかく「オネスティ」は米本国でそれほど認知されていない楽曲だというのは意外な事です。

”「誠実」なんて虚しい言葉だろう ” このあまりにも有名な一節を含んだ本曲は「52nd Street」からの3枚目のシングルとしてリリースされましたが、チャートアクションは24位という決して大ヒットと呼べるものではありませんでした。

日本で特に人気が高いのはひとえに上のテレビCMによるものでしょう。ネッスル社のCMによって本曲はお茶の間に浸透しました。私以上の世代(昭和45生)なら絶対に視ているコマーシャルですが、前作「ストレンジャー」からタイトル曲が日本でシングルとして大ヒットした事が本曲を起用した一因となっているのは言うまでもないことでしょう。ただ本曲はオリコンチャートにおいては53位と「ストレンジャー」ほど奮いませんでした。爆発的に売れたのはフランスにおいて。8週連続1位という快挙を成し遂げ、70年代における最も売れた曲TOP10に入ったそうです。言われてみれば、少しシャンソンに通ずる哀愁が漂ってなくもないですよね。

本作からの第一弾シングルであり全米3位の大ヒットなったのが「My Life」。一聴すると軽快なポップソングですがその歌詞はとてつもなく厭世的なもの。商売が上手くいかず、物質的豊かさのみの米流大量消費生活に辟易した主人公が西海岸へ移住し畑違いの芸能関係を生業とする。友達に窘められても放っておいてくれ、と言う事を聞かない。ここでの ” 俺の人生だ!” というのは前向きなものではなく、世をはかなんだものです。
それにしてもアメリカンドリームをつかんだと言って良いほどの成功を収めたのに、次の作品でこんな後ろ向きな歌詞を書く。この人はやっぱりネガティブの塊の様な人なのでしょう。

A面ラストの「Zanzibar(ザンジバル)」。前作における「イタリアンレストランで」に相当する様な楽曲です。ただしその歌詞は「イタリアンレストランで」とはだいぶ異なるもの。「Zanzibar」という異国情緒(アフリカ風?)あふれる店名のバーを舞台にしています(ちなみに語尾の ”bar” が酒場のバーとかかっている事は言うまでもない)。店が舞台という点では「イタリアンレストランで」と同様ですけれどもその中身は・・・

ボクシングと野球が好きなビリーらしく二つのスポーツを用いて書いています。1番ではモハメッド・アリが登場し、彼の活躍を観る事によって自らを鼓舞させる内容。ただしそれはヒロイックなものではなく、酔っぱらった昭和のオヤジが巨人や阪神が勝った負けたと言って一喜一憂して騒いでいる下卑た様なもの。そして自分はザンジバルの ” 顔 ” であり、店のウェイトレスと ” イイ ” 仲であると自慢する。そしてサビが、

I’ve got the old man’s car I’ve got a jazz guitar
I’ve got a tab at Zanzibar Tonight that’s where I’ll be
俺には古い車がある ジャズギターだってある
そしてザンジバルにはつけがある 今夜俺はそこにいるだろう

古い車、ジャズギター、さらには飲み屋にツケがあるという事は大人の男だということ。しかしあまり格好の良いものではなく、オレこんなの持ってるんだぜ!、的な陳腐な自慢です。2番はピート・ローズが出てきます。野球と恋愛をかけた内容で、そして狙っている相手は勿論ザンジバルのウェイトレスでありません。しかし結局は玉砕する・・・そして3番では結局ウェイトレスのもとに戻ってくる、といった内容です。

結局の所この歌詞は、粋な大人の男で、しかもプレイボーイを気取ってはいるが、とどのつまりはダメ男である、といった内容です。「イタリアンレストランで」とは、若さゆえの無鉄砲・無計画な行動で一度挫折を味わった者達を、甘やかす訳でもなく、かと言って窘めるわけでもなく、それもまた人生だとありのままに認め、門戸を開いて彼らを受け入れる店でした。「フォンタナ ディ トレビ」という実在したビリー行きつけの店がモデルになってはいますが、実はこの世のどこにも存在しない、観念的・精神的な心の拠り所だと私は思っています。それに対して「ザンジバル」は、特にモデルになったバーがあったようではありませんが、その辺にいくらでもある飲み屋であり、またこの男もその辺りにいそうなダメな輩です。

しかし歌詞はダメダメな男でも、楽曲とサウンドは極上のものです。本曲で取り沙汰されるのはジャズトランペットの大御所 フレディ・ハバートの参加。ハバートによる二回のソロが本曲をより高みへと押し上げているのは言わずもがなですが、それに比べてあまり取り上げられないヴィブラフォン奏者 マイク・マイニエリも素晴らしい貢献を果たしています。

まとめると、本曲は非常にダンディズムに溢れた曲調であるながら、その辺にいるダメな男またそいつらが行きそうな俗な飲み屋を主人公及び舞台にした、コントラストが際立つ楽曲です。ビリーは完全にそのギャップを狙ったんでしょうが、本曲においても彼の一筋縄ではいかぬ創造性が伺い知れて、これはこれで楽しいです(単にひねくれているだけ? … かも・・・・・)