” 変わらないでおくれ、僕はそのままの君が好きなんだから ”
あまりにも有名な一節を含むビリー・ジョエルの名曲「素顔のままで(Just the Way You Are)」が妻であるエリザベスに対して書いた曲であるというのは#183で触れました。しかしながら悲しい事に永遠の愛というものはなかなか存在せず、ビリーとエリザベスの仲にもやがて終焉が訪れます。しかもかなり面倒な事になるのです・・・・・
実際に頑なまでヒット曲を収録しなかったのはビリーのコロムビアへ対する反抗心であった様です。時代の寵児となったビリーに対し、「グラスハウス」ツアーの終了後すぐに新作へ取り掛かるようビリーへ要望しますが、彼はなかなかその気になれない。人気絶頂の内に少しでも売りたい、間隔を空けて世間の興味が薄れるのを嫌がったレコード会社が、ではライヴ盤を出そう、とビリーに持ち掛けて、ビリーも渋々同意した、というのが実情だったそうです。それでもコロムビアの言いなりになるのが癪だったビリーが持ち出した折衷案がヒット曲を一切入れないというものだったようです。
それでも天下のビリー・ジョエル。本作は全米8位という大ヒットを記録します。まだベスト盤が出ていなかった当時においては、「ストレンジャー」より前の曲を本作で初めて知り、改めてビリーのファンになったというリスナーも少なくなかったとか。好循環で回っている時は何をやってもうまくいきます。#174で既述のデビュー作「She’s Got a Way」と「Say Goodbye to Hollywood」が
本ライヴ盤からシングルカットされ、これまたヒットします。
上はビリー・ジョエルのアルバム「Glass Houses」(80年)においてB面のトップを飾る「I Don’t Want to Be Alone」。当時流行しつつあったレゲエ・スカのリズムを取り入れた本曲はイギリス勢の影響を受けたのではないか? と思っています。そしてこの歌い方、どこかで聴いた事が? と首をひねりがちになるんですけれども・・・
そう! エルヴィス・コステロにどことなく似ているんです。コステロは前年に3rdアルバムが全米TOP10入りするほどに躍進していましたので、コステロをはじめ英国勢の若手が好んで取り入れたレゲエ・スカといった音楽やその歌い方に関して影響を受けたとしてもなんら不思議はありません。70年代後半にイギリスでパブロックと呼ばれる米のオールドスタイルR&Rをリスペクトしながら独自の音楽が生み出されました。デイヴ・エドモンズ、ニック・ロウ、そしてエルヴィス・コステロ達がその代表格であり、まだ売れる前のヒューイ・ルイスが欧州で武者修行していた時にエドモンズやニックと知り合い交流を深めた、というのは以前に書きました(#85ご参照)。またストレイ・キャッツが認められたのも初めは英国においてです。
全くの推測ですが、ビリーは彼らの動きに先を越された!くらいの感じを受けたのではないでしょうか。本国では廃れつつあったオールドスタイルR&Rのスピリットを、海を隔てた英国のミュージシャンたちが復興させた事に本国のミュージシャンとして歯痒い想いを抱いたのではないかと。ちなみにコステロの米における発売元はビリーと同じコロムビアレコードです。
再びタイトなロックチューンである「Sleeping with the Television On」。中間部のチープなオルガンの間奏がこれまたコステロっぽく聴こえます。 ” テレビをつけっぱなしで寝る ” というのは、むなしい朝を迎える、退屈な日常を繰り返す事の比喩の様です。アメリカでは昔からテレビ(この場合は地上波というやつ)は無趣味・無教養な人間が視るもの、貧乏人の娯楽と蔑まされていました。日本でもようやくアンテナの敏感な若い人達の間ではそうなっていますね。まともな感性であんなくだらないものは視れません。
これまた素晴らしいロックナンバーである「Close to the Borderline」。本作においてはドラムのリバティ・デヴィートとベースのダグ・ステグマイヤーが重要な役割を果たしている、というのは前々回にて既述ですが、本曲においてそれが十二分に発揮されています。憧れのジョージ・マーティンとの仕事を袖に振ってまで守り抜いた自身のバンド。それが本作で見事に結実されたのです(#186ご参照)。特にデヴィートのドラムが素晴らしく、彼のドラム抜きに本作は完成出来なかったのではないかと思えるほどです。
アルバムラストの「Through the Long Night」。多くの人が本曲だけがこのアルバムの中で浮いていると思うのではないでしょうか。勿論私もそうです。内省的な曲調・歌詞は本作のコンセプトからはベクトルが外れています。どう考えても次作である「ナイロン・カーテン」に収録されていた方が良かったのでは?・・・ そうです。ビリーはこの時からすでに「ナイロン・カーテン」の構想があったのでは? と私には思えてなりません。本曲はビリーが最後に提示した次作の方向性だったのはないでしょうか。
ビリー・ジョエルが80年にリリースしたアルバム「Glass Houses」についてその2。
R&Rナンバーが二曲続いた後に少し箸休め的なナンバーである「Don’t Ask Me Why」。本作からの第三弾シングルである本曲は全米19位というヒットを記録しましたが、一つ前のシングル「It’s Still Rock and Roll to Me」がビリー初の全米No.1となったのでその陰に霞みがちです。しかしライヴでは必ず披露される定番曲だったらしくファンの間では人気のナンバーです。アコギの軽やかな印象によってロックンロール色が薄いように感じてしまいますが、そこはどうして、ボ・ディドリーばりの所謂ジャングルビートでしっかりと ” ロック ” しています。
先述の通りビリーにとって初の全米No.1シングルとなった「It’s Still Rock and Roll to Me」。批判を顧みず率直に言えば、ビリーによる数多の名曲の中において本曲は突出した楽曲ではありません。ですけれども、ディスコの潮流がまだ蔓延り、さらにニューウェイヴが台頭しつつあった80年初頭において、こんなド直球のロックンロールナンバーが天下を取ったのは奇跡です。言い替えればビリーの人気・勢いが時代を凌駕したのです。誤解を恐れず言うとこの時点でビリーは何を演っても成功したと言う事が出来、それは良い意味における強者の特権でしょう。ポール・マッカートニーですらこれほどの勢いはありませんでしたから。
A面ラストの「All for Leyna」。アルバム発売に先駆けてイギリスのみでシングルカットされました。曲中の主人公が一夜限りの関係を持った女性にやがてのめり込んでいくという内容。イントロにおけるピアノの連打が翌年のホール&オーツによる大ヒット「キッス・オン・マイ・リスト」(#57ご参照)と似ているな?影響を与えたのかな? と思っていましたが、よく考えたらホール&オーツのアルバム「モダン・ヴォイス」は80年7月のリリースで「Glass Houses」の4カ月後。「キッス・オン・マイ・リスト」は随分時間が経ってからリリースされ、爆発的にヒットしてホール&オーツ第二次黄金期の礎を築いた曲でした。
「モダン・ヴォイス」もプログレ、ハードロック、ニューウェイヴと色々チャレンジしてきたホール&オーツが、彼らのルーツであるソウル・R&B・R&R・ドゥーワップといった音楽へ原点回帰した作品でした(ただし全部が全部という訳ではなく)。時代を極めたビリーが商業性を(あまり)気にせず行う事が出来たのに対して、ホール&オーツは「リッチガール」(77年)以来ヒットから遠ざかっていました。対照的な両者達が選んだ方向性が原点回帰、というのも興味深いものです。
People who live in glass houses should not throw stones
(ガラスの家に住む者は石を投げてはならない)
ということわざがあるそうです。
自分も完璧ではないのだから他者を批判するな、というくらいの意味です。ガラスで出来た家に住んでいる人が誰かに石を投げると、その仕返しに石を投げ返されたら大きな損害を被ります。よって自分から石を投げるようなことはしないでおきなさい、という教訓を垂れているとする説。あるいはガラスで出来た家の中から外に向かって石を投げたら、自分の家が壊れてしまうから止めておきなさい、という説もあるそうです。
ガラスが割れる音から始まるA-①「You May Be Right」は本作を象徴するナンバー。本作では特にリズム隊であるダグ・ステグマイヤー(b)とリバティ・デヴィート(ds)が重要な役割を担っています。R&Rはベースとドラム、そしてリズムギターが肝です。速弾きギタリストの登場によって、70年代後半くらいから間奏のギターソロがやたらと取り上げられる風潮になりましたが、元々はグルーヴが命の音楽です。
話しは少し飛びますが、布袋寅泰さんはギターソロは必ずしも無くて良いという考えだと聞いた事があります。私は決して布袋さんについて詳しい訳ではありませんが、この考えがギタリストである布袋さんによるものとは非常に興味深いです。R&Rの本質を見失っていない、やはり真のロックンローラーなのでしょう。
ガラスの割れる音の次は、電話をダイヤル(といってもプッシュボタンによるもの)する音です。A-②の「Sometimes a Fantasy」も極上のタイトなR&Rチューンです。遠距離恋愛で会えない彼女に電話をかける、それだけ聞くと80年代のラブコメか?と思ってしまいますが当然そんな訳はなく、 ” モヤモヤ ” した男が彼女に電話をしてエロチックな気分に浸ろうという、要はテレフォン〇ックスの事です。アルバムヴァージョンはでPVのオチは無くフェイドアウトですが、曲中のテレフォン〇ックスは電話をかける前のビリーによる妄想であり、現実には彼女は留守か寝てるかで電話には出なかった、チャンチャン、というやつです。
ビリー・ジョエルが78年に発表したアルバム「52nd Street(ニューヨーク52番街)」は、ビリーにとって初の全米アルバムチャートにおけるNo.1ヒットとなり、更にグラミー賞(80年)において最優秀アルバム賞及び最優秀男性ポップボーカル賞を受賞します。「ストレンジャー」からの勢いは留まる事を知らず、時代の寵児となりました。
上はB-③の「Half a Mile Away」。「マイライフ」同様にポップな曲調ですが、歌詞は「マイライフ」の様に病んで(?)はいません。ものすごくざっくり言うと ” 毎日くたくたになるまで働いているんだ、週末くらいは好きに遊ぼうぜ!半マイル向こうに別世界があるんだ!” のような内容だそうです。N.Y. における市井の人々の暮らし・願望を歌った、くらいのビリーにとっては普通(?)の歌詞です。
B-④「Until the Night」を聴けば、知っている人はライチャス・ブラザーズの「ふられた気持ち」じゃね? と思ってしまいますがそれは正解です。ビリーとプロデューサーであるフィル・ラモーンは明確な意図をもってフィル・スペクターによるこの稀代の名曲をリスペクトしたそうです。もっともフィル・スペクターサウンドという点については「さよならハリウッド」ですでに取り入れていましたが。本曲が後の「イノセントマン」につながるのは言わずもがなです。
ダイナミックな「Until the Night」の後、アンコール的に歌われる様な形を取った小曲「52nd Street」にてアルバムは終焉を迎えます。
I’ve got the old man’s car I’ve got a jazz guitar I’ve got a tab at Zanzibar Tonight that’s where I’ll be 俺には古い車がある ジャズギターだってある そしてザンジバルにはつけがある 今夜俺はそこにいるだろう