84年5月、スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルとしての2ndアルバム「Couldn’t Stand the Weather(テキサスハリケーン)」をリリース。発売後わずか2週間で前作の売り上げを抜き、1ヶ月あまりで100万枚のセールスを叩き出しました。前作の成功が決してまぐれ当たりなどではない、確固とした実力によるものとの評価を得ました。
基本的には前作の延長上にある作品ですが、やや新しい試みも。ジャズスタイルの演奏にトライした「Stang’s Swang」などもあります。古いブルースのスタンダード「Tin Pan Alley」を取り上げていますが、プロデューサーのジョン・ハモンドは本曲がレイ・ヴォーンのベストトラックとしています。本曲はファーストテイクでOKになったとの事。録音を終えた直後、ハモンドは思わずブース内にいるメンバー達へ向けてマイクにて、”今までで最高の出来だ!ワンダフルだよ!!”と言ったそうです。確かにレイ・ヴォーンの中で、フレーズ・音色共に白眉のプレイの一つです。
レイ・ヴォーンを語る上で欠かせない先達のギタリストに、言わずと知れたジミ・ヘンドリックスがいます(#43~47ご参照。もっともロックギタリストで直接的あるいは間接的にジミの影響を受けていない人の方が少ないと思いますが…)。兄のジミー・ヴォーンや、巨匠 アルバート・キングと並んで、多大な影響を受けたプレイヤーの一人と折に触れコメントし、そのリスペクトの程がうかがえます。本作ではジミの代表曲の一つ「Voodoo Child」をカヴァーしています。
レイ・ヴォーンの使用ギターは、そのジミと同様にフェンダー・ストラトキャスターがメインでした。最も有名なのは『ナンバーワン』と呼ばれたもの。
当然ストラトだけでも何本も所有していたのですが、レイ・ヴォーンの使用ギターとしては本器が最も良く知られています。70年代前半に地元オースティンの楽器店にて、それまで使用していたストラトと物々交換したと言われています。本器は製造されたそのままの状態ではなく、ネックとボディは年式のそれぞれ異なるものを合わせており(フェンダータイプはボルトで容易に着脱出来るのでそういうものがよくあります)、ジミ・ヘンドリックスと同様にトレモロアームが上部に付いています。ジミは左利きであったのに右利き用のギターをひっくり返して使用していたためそうなったのですが、レイ・ヴォーンは右利きですけれどもあえてその様に加工しました。通常の下部に位置するアームでは出来ないような独特なプレイを可能にしたと言われています。
アンプに関しては80年代初期は同じくフェンダー社のスーパーリバーブやヴァイブロバーブを使用。同社の代表的なツインリバーブよりも小口径・小出力のアンプです。後期はオーダーメイドであるダンブルアンプをメインとしていたようです。
圧倒的な正確無比かつアグレッシブなプレイも勿論ですが、レイ・ヴォーンの魅力は何といってもその音色にあります。#29のデヴィッド・ギルモア回でも少し触れましたが、ストラトキャスターというギターは元々カントリー&ウェスタン等で使用されるのを念頭に開発されたため、太く甘い音よりもヌケの良い枯れた音色を狙って作られました。しかし彼のトーンはストラトらしいハリのある、ガラスがはじける音などという表現がありますが、フェンダーらしい美しい高音とヌケの良さに、ギブソン的なパワフルさも兼ね備えた、ズルい程にイイとこ取りしたような音色です。
多くのレイ・ヴォーンフリークが彼と同じギター・アンプ・エフェクターを入手してその音色にトライしたようですが、殆どの人が口を揃えて言うのが”同じ音にはならない”という事。これは当たり前と言えばそれまでなのですが、ギタリストの場合、そのトーンはプレイヤーの指から生まれるという事です。確かイギリスのミュージシャンの間の言葉で”トーンは指から生まれる”(The tone is in one’s finger だったかな?… 原語はちょっと怪しいかも・・・)というのがあります。機材・セッティングだけ真似てみてもそのプレイヤーの音色と全く同じにはならないのです。
それでもレイ・ヴォーンの音色の秘密に少しでも近づきたいというのがファンの心情であるのも事実です。よく言われるのは、とにかく太い弦を使っていたという事。ギターの弦(ゲージ)は一番細い1弦の太さで表わされますが、通常エレキギターの弦として一般的なのは直径0.09インチ(ゼロキュー)、ジャズやブルースなどを好むギタリストは少し太めの0.10インチ(イチゼロ)などが使用されます。レイ・ヴォーンは0.12やともすれば0.13などという極太のゲージを使っていたと言われています。アコギで使われるようなゲージであり、当然弾きにくくてしょうがありません。それであれほどのスピーディーかつ正確無比なフィンガリングを実現出来ていたのですから驚愕します。そしてそれだけ太い弦を張っていれば当然なのですが、弦の張力によってネックが反ってしまいます。ゴメンナサイした様な状態の所謂”順反り”になってしまい、弦と指板の距離が遠くなる、ギター用語で言う”弦高”が高くなってしまい、これまた弾きにくさに拍車をかけてしまいます。実際レイ・ヴォーン存命中に彼のギターを弾かせてもらったという人の話では、極度の弦高の高さに極太の弦で、とても弾けたものではなかったというものがあります。しかしこれにもメリットが、弦高は低い方が弾きやすいのは当然なのですがその一方で音色のハリを失います。特にアコギではそれが顕著で、あえて弾きにくくても弦高を高くするプレイヤーもいます。レイ・ヴォーンの場合は狙ってそうなったか、結果的だったのかはわかりませんが、その異常な程の弦高もその独特なトーンへ起因しているのではないかと推測されます。
またピックアップが高出力のものに載せ換えられているのでは?、と存命中はよく言われたらしいのですが、彼の死後、フェンダー社がシグネイチャーモデルを製作するために兄のジミーの了承を得て分解してみたところ、他社製のピックアップなどに換えられた形跡は無かったとされています。ちなみにそのレイ・ヴォーンモデル『ナンバーワン』は現在でもフェンダー社の数あるシグネイチャーモデルにおいて、エリック・クラプトンモデルと双璧をなすロングセラーモデルとなっているそうです。そして当然の事ながらフィンガリングやピッキング、あとは気合(?)などが全てミクスチャーされてあのトーンが生まれたのは言うまでもありません。またジミヘン同様、ギブソン・フライングⅤも使用することがありました。これはジミもレイ・ヴォーンも、彼らのヒーローであったアルバート・キングからの影響と言われています。
85年7月、3年前は歓声とブーイングが入り乱れて微妙なリアクションに終わった、因縁のモントルー・ジャズ・フェスティバルへ再び出演します。
既にスーパースターとなっていたバンドは当然大歓声に迎えられてのステージとなります。個人的には82年のステージが特に出来が悪かったなどとは思えませんので、如何に売れているから、メディアで取り上げられているから、という属性でもって世間の評価というものが変わるのかという良い例でしょう。レイ・ヴォーン達にしてみれば、してやったり!と、リベンジを果たしたといったところだったでしょうか。
85年9月、3rdアルバム「Soul to Soul」をリリース。こちらもプラチナディスクを獲得。順風満帆に見えるそのミュージシャン人生でしたが、実はある問題を抱えていました。その辺りはまた次回にて。