https://youtu.be/bM9SHDNAbPw
トーキング・ヘッズが84年に発表したライヴアルバムであり、同名映画のサウンドトラックである
「Stop Making Sense」。一見、コンサートの模様を淡々と映し出しているフィルムの様に
観えますが、実は斬新な演出などが施されており、発売時から現在に至るまで長年に渡って
ライヴフィルムの傑作と称えられている作品です。映画オンチの私ですら、そのタイトルくらいは
知っている『羊たちの沈黙』などで有名なジョナサン・デミが監督を務めました。
何もないステージへ、アコギとラジカセのみを持ったデヴィッド・バーンが向かうところから
映画は始まります。上の「Psycho Killer」がそのオープニングナンバーです。間違いなく
ギターは弾いていませんし、歌も多分、所謂”口パク”でしょう。
次にベースのティナ・ウェイマスが加わり2曲目を演奏、その後ろでドラムセットが運ばれてきて
ドラムのクリス・フランツが登場。やがてジェリー・ハリスンも加わりここでやっとバンドの
全員が揃います。その後パーカッショニスト、キーボーディスト、サポートギター、女性コーラス隊が
曲を追うごとに登場して全てのメンツが揃います。
https://youtu.be/FBUe_v6Mi70
上はコンサート前半のハイライトである「Burning Down the House」。メンバー全員が登壇して
演奏された始めの方の曲目である事もあってか、熱量が物凄いです。特に黒人サポートミュージシャンの
ステージアクトが見後に熱く、圧巻です。個人的には本作におけるベストトラックの一つです。
発売時は2時間以上ののステージを46分程度に収めたアルバムでしたので、当然半分以上はカットされ、
また曲順もセットリストに沿ったものではありませんでした。当時、”貸ビデオ屋” で借りてきた
VHSビデオで映画は観たので、コンサートの曲順は一応知ってはいましたが、専らLPで聴く方が
圧倒的に多かったので、セットリストとは異なる、ややシャッフルされたオリジナルアルバムの
曲順の方にどうしても馴染みがあります。99年に、数曲を除いた”ほぼ完全版”がリリース、その後に
その数曲もボーナストラックとして含めた”完全版”が発売されていますので、これから聴く方は
そちらを聴くのがよろしいかと。
コンサートでは終盤に演奏されたナンバーでしたが、オリジナルアルバムではA面のラストに
収録されていた「Girlfriend Is Better」。”Stop Making Sense” とは本曲の歌詞に出てくるフレーズ。
『意味を見出そうとするのはやめてくれ』の様な意になるそうですが、昔は『勘繰るのはよしてくれ』、
みたいな訳し方をしているモノの本もあった記憶があります。歌詞はバーンが書いたものなので、
当然のようにワケがわかりません。
前回も取り上げた「リメイン・イン・ライト」に収録の「Once in a Lifetime」。オリジナルの
本盤ではB面の一曲目でした。原曲よりポップな仕上がりとなっており聴きやすいかと。それにしても、
バーンのステージアクションはかなり個性的と言うか、奇妙奇天烈と言うべきか、観ていて飽きません。
この振り付け(?)に本曲における歌詞の意味が隠されているのかもしれません。ですが、それはバーンが
言う所の ”Stop Making Sense(勘繰るのはよしてくれ)”になってしまうのでしょうね。
https://youtu.be/anjT71N4PGM
オリジナルではラストを飾る、アル・グリーンのナンバー「Take Me to the River」。ヘッズは
2ndアルバムにて本曲をカヴァーしています。黒人音楽への傾倒はその時点から既に始まっていました。
トーキング・ヘッズの四人は、それまでのロックミュージシャンのイメージとはかけ離れた人物達でした。
それまでのロッカーと言えば、長髪に髭・破れた衣装とワイルドなものか、またはひらひら・フリフリの
サイケデリックな華美・派手な衣装、といったものが定番だったと思います。しかし彼らは違いました。
またその経歴も、有名な美術大学出身という風変わりなものです。ちなみにドラムのクリスとベースのティナ
は名家の出であり、どちらも親が米海軍のお偉方だそうです。二人は77年に結婚しています。
ロックと言えば、暴力・セックス・ドラッグといったイメージが拭いきれなかった時代において、
彼らはそのようなイメージが自身たちに定着するのを避けたようです。そんな一風変わったN.Y.の
若者たちにブライアン・イーノは興味を持ち、それまでとは全く違ったベクトルのポップミュージックを
共に創り上げる事に成功したのです。
88年のアルバム「Naked」を最後に、メンバー間の不和などを原因としてバンドは解散したと言われます。
実は初期の頃から、バンド内には確執が生じていたそうです。ベースのティナは「リメイン・イン・ライト」よりも前にバンドを離れたいと言った事があり、その時はクリスになだめられて思いとどまったとの事。
イーノが関わってから以降はどうしてもイーノとバーンがイニシアティブを握るようになり、他のメンバーは
必ずしもそれを快く思わなかったようです。やがてティナは姉妹とクリスでトム・トム・クラブを結成し、
ジェリー・ハリスンもソロ活動を開始。それらはバーンへの反発と、勿論自身のミュージシャンとしての
アイデンティティーを確立するためもあったのでしょう。
では「リメイン・イン・ライト」をはじめとする作品群はイーノとバーンだけの力で創り上げたのかと
いうと、決してそうではありません。「リメイン」はバハマにある有名なコンパスポイントスタジオで
レコーディングされたのですが、クリスとティナはここに別荘を購入しており、同所での休暇を終えてから
同スタジオにてジェリーとレコーディングを始めました。やがてバーンがそこに加わったのですが、
彼らはリードシンガーとそのバッキングをするバンド、という図式の音楽に辟易とし始めていました。
バーンの言葉によれば『相互連携のために各々のエゴを犠牲する』、直訳だと少しわかりずらいのですが、
各パートはフロントマンの引き立て役に終始するのではなく、皆が音楽の中で対等の立場・役割を取り、
そして完成される音楽が何よりも第一とされ、そのためには各パートが ”ここは是非とも聴かせたい”
という箇所があったとしても、アンサンブルの前にそれは優先されるものではない、くらいの意味かと
私は解釈しています(長いな…)。それは「リメイン」を聴けば一聴瞭然であります。彼らはその様な
理念の下にジャムセッションを繰り広げていきました。
イーノがバハマに着いたのは、バーンより三週間ほど遅れての事だったそうです。実の所、イーノもヘッズの
プロデュースをする事に嫌気がさし始めていたそうなのですが、既に録られていたデモテープを聴いた途端にそれまでの気持ちとは打って変わって、とてもエキサイトしたとの事です。
「リメイン・イン・ライト」に代表される、トーキング・ヘッズによるポップミュージックの変革点と
なった作品群は、ロックミュージシャン然とせず、新しい音楽を模索していたヘッズのメンバー達と、
同じく既存の音楽にとらわれず、自身の理想を追求していたブライアン・イーノが出会った事による、
幸運な奇跡だったのでないかと思うのです。