#160 Big Time

その表現方法が独特な人、言い替えれば傍から見ると我が道を行くクリエーターというのは、
ともすれば売れる事を拒否しているのかと捉えられがちです。しかし当人にすれば、いたって真面目に
それが世の中に受け入れられるはずだ!という信念のもとに行っている事が少なくありません。
ベクトルが一般人とはちょこっとズレているだけで・・・・・

大成功(Big Time)が間近に迫っているピーター・ガブリエルはやる気にみなぎっていました。
3rdアルバムこそ全英1位を獲得したものの世界的な成功とはまだまだ言えず、古巣のジェネシスと
大きく差を開けられていたというのは#157で述べた事ですが、83年頃を境にピーターの中では
メンタルにおける変化が起こっていて前向きな方向へ向かっていたそうです(躁鬱ともいえます … )。
上の「Big Time」は「スレッジハンマー」に続く全米TOP10ヒット。” もう少しだ、もう少しで
成功出来る所なんだ! ” という、まるでこの後のピーターを予言している歌の様にも取れますが、
その歌詞の中身は成功を切望している人物を自嘲的に描いたもの。
とは言え、ピーターの中に何らかの変化があった事は周囲の人物からのコメント等で伺い知れます。
その直前には離婚の危機にあった妻ジルは ” 成功したいんだ!突き抜けてやる!何でもやってやる!” と
ピーターが語っていたと述べており(この頃は夫婦関係も良好になっていた)、3rdから参加している
ギタリスト デヴィッド・ローズもピーターには功名心が溢れていたと証言しています。
4thアルバムまでは全てが「Peter Gabriel」というタイトルであったのを、86年の「So」から
タイトルを付けたのもその辺りが理由だそうです。ピーターはアルバムに名前を冠する事を
無意味だとその時点でも思っていた様ですが、レコード会社サイドからせめてタイトルは付けてくれ、
という要請に対し仕方なく応じたそうです。これだけでも彼にとっては大きな妥協です。
さらにはアルバムジャケットにもその変化が伺えます。1stはフロントガラス越しに車内にいる
心霊写真の如き顔。2ndは正面を見据えて指で何かを引っ掻いているもの。3rdは顔が解けており、
そして4thに至ってはアフリカの部族が儀式に使う人形の様にカリカチュアされた顔です。
どれ一つを取っても ” まともな ” ジャケットが無かったピーターでしたが、「So」においては
” フツウ ” になります。元々男前なのですからはじめからそうすれば良かったのでしょうが、
本人の中では何か許せないものがあったのでしょう。本作では80年代風に短く整えられた髪型と
シックな黒服という ” 洒落乙 ” なものとなりました。
ちなみに「So」に全く作品との関連性は無く、ただ単に言葉の響きが良かっただけ、との事。

「Big Time」のドラムはポリスのスチュワート・コープランドで、ベースは言うまでもなく
トニー・レヴィンです。本曲にはちょっとしたウラ話があり、初期から参加している
ジェリー・マロッタが当初ドラムトラックを録音したのですが、結果的にはコープランド版が
採用されました。#156で触れましたが、「So」以前はバンドのギャラも工面できない程に
金銭面で苦労していました。しかしジェリーをはじめとするバンドのメンバーは正式な契約も
交わさずに、ピーターの仕事の為には他のスケジュールも押しのけて参加していました。
「So」の製作段階ではジェリーはポール・マッカートニーのツアーに加わっており、
ピーターからお呼びがかかった事で散々苦労してポールに一週間のお暇を頂きレコーディングに
参加したそうです。そこで「Big Time」のジェリーによるドラムが録られたのですが、
前述の通りそれはボツになります。ジェリーはこのプレイを自身でも指折りのプレイと
思っており、ピーターに対して何とか考えなおしてもらえないか?と頼んだそうです。
ピーターは決して結果の為には血も涙も無く全てを切り捨てられる人ではありません。
生まれが良いのと典型的な英国人気質で、言いたいこともなかなか言えないタイプです。
実際はじめてジェリーを迎えに行った道中で、ピーターは何か話題を見つけてジェリーを
話しでもてなそうとしているのに上手く話せずにいました。ジェリーはサバサバしたこれまた
ティピカルな米国人であるので、” 気を使うなよ!ピーター! ” と慰めたそうです。
そんなイイ奴のジェリーを切ってまでコープランドヴァージョンを使ったのですから、
ピーターの葛藤は相当なものだったでしょう。裏を返せば、例え気弱でも譲れない所は
テコでも譲らない創造主としての精神が表れています。でもジェリー版も聴いてみたい …
付け加えると1stから参加しているキーボードのラリー・ファーストとも袂を分かっています。

「Mercy Street」はピーターが以前から好んでいた米女流詩人にインスパイアされた曲。
その歌詞同様に曲調もメランコリックなものですが、リズムはラテンチックなのが興味深いです。
元のタイトルは「フォロ」であったとの事。昔ブラジルに出稼ぎへ行っていた英・アイルランドの
建設従事者は現地でハチャメチャなパーティーをしていたらしく、そのうちにブラジル人でも
誰でもその宴に迎え入れる様になる ” For All(誰でも大歓迎)” がブラジル流の発音では
” フォロ ” になり、その時に演奏されていた音楽のリズムそのものを指す言葉になったそうです。
勿論本曲におけるリズムはそのフォロを基にしているのは言わずもがな。

発売当初、プレスの評価は従前の作品同様に賛否両論、両論極端なものだったそうです。
ある者は ” 永遠に希望が湧き出る地球的メッセージ ” と絶賛し、またある者は ” 退屈・わざとらしい ” と
酷評しました。リリース前後にプロモーションを行いますが、あるコンサートのために
発売月の86年5月末に一旦そのプロモーションを中断、その後11月から米でソロツアーを開始します。
この頃には「スレッジハンマー」の大ヒットもあり客層は広がっていました。
アメリカ・カナダにおける約一年のツアーは当初あまり話題になっていなかったそうです。
オーディエンスも「So」で初めてピーター・ガブリエルを知った人が多く、昔の曲をよく知らないという
状態でした。しかしその内容の素晴らしさが徐々に広まり、プレスの評価も高いものとなっていきます。
奇抜なメイク・コスチュームといったものはなくなりましたが演劇的要素は健在で観客を惹きつけます。
そうして87年6月、カナダでの日程を終えてアメリカに戻ってきた一発目のニュージャージー州の
スタジアム公演では五万人以上を動員するという記録を打ち立てました。

本アルバムが傑作であることは揺るぎない事実ですが、あえて唯一難点を挙げるとすればエンディング曲で
ある上の「We Do What We’re Told (Milgram’s 37)」です。これは市井のリスナーや評論家筋の
多くが言っている事で、これに関しては私も同感です。一応本曲についての説明をすると、副題である
『ミルグラムの37(%)』というある実験が基になっています。詳しく説明するスペースも無いので
興味がある方はミルグラムで検索を。5秒で説明すれば ” 人は権威の指示によりどれだけ残酷になれるか ”
といったもの。” We Do What We’re Told=言われた通りにやっただけだ ” 、という事です。
歌詞の内容もあまりピンと来ませんし、楽曲にもあまり秀でたものが感じられません。
それでも好意的に捉えるならのなら、商業的成功を狙いに行った本作でもなお、トライアル精神を
失わなかったという点くらいでしょうか・・・・・

ピーター・ガブリエルの代表作にて最大のヒット作となった本アルバムは米だけで500万枚以上、
英ではトリプルプラチナ(英プラチナディスクは30万枚以上なので、約100万枚といった
ところでしょうか)。その他ドイツとオランダでプラチナ、フランスでゴールドディスクに認定されます。

夢は必ず叶うとか、努力は必ず報われるといった無責任な物言いを私は全く信じていません。
実際にあることを願い、当人としては寝食を忘れ精進を続けたのに全く世に認められなかった人は
大勢います。いや、むしろそういう人の方が圧倒的に多いでしょう。
ピーター・ガブリエルもそういう人生を送っていたとしてもおかしくはありませんでした。
その特異な才能は、ある程度音楽に精通した人間であれば認めざるを得ないものです(好む好まないは
別として)。ですが、才能があっても商業的結果を残せなかったクリエーターはたくさんいます。
時代にそぐわなかった、宣伝広告が行き届かなかった、業界の大物に嫌われた等々 … 。
ピーターもそれで終わっていたかもしれないミュージシャンの一人です。私は運命論など毛ほどにも
信じていない人間ですが、それでもやはり運命の様なもので、天が結果をもたらしてあげたのでは?
と思わざるを得ない人がいます。ピーター・ガブリエルもその一人なのです。
余りにも独特な音楽性、歌詞の世界観、そしてステージングアクト。これまでコマーシャルな意味では
デメリットでしかなかった事柄が全て正の方向で結実します。そしてそれはこの後の活動においても。
本作で味を占めて「So」第二弾をまた作っていたならそれはなかったかも・・・・・
おっと、また長くなりすぎました。続きはまた次回にて。

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